2018年3月13日火曜日

貝層・漆喰を含む土坑の時期別分布

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 8

大膳野南貝塚後期集落の土坑について指標別に時期別分布の検討しています。これまでに指標「体積類型」、「平面形型」、「フラスコ状、円筒状」について検討しました。
この記事では指標「貝層、漆喰」について時期別分布を検討します。
貝層、漆喰を含む土坑は、その土坑の最後の機能が貝殻を含む魚介類飲食残滓の送り場であったと考えます。あるいは土坑本来機能(例 堅果類貯蔵)を廃絶する時の廃絶祭祀跡とみることも可能であると考えます。

1 貝層・漆喰を含む土坑の時期別分布
1-1 加曽利E4~称名寺古式期

加曽利E4~称名寺古式期
加曽利B1~B2式期の竪穴住居はすべて漆喰貝層無竪穴住居ですが、この期の土坑に貝層を含むものがあることは特記事項になります。
竪穴住居廃絶祭祀で貝殻を使わないことからこの期の住民は非漁民と考えますが、漁撈を完全に行わなかったわけではないことが判りました。
貝層を含む土坑は北貝層の内部に位置します。

1-2 称名寺~堀之内1古式期

称名寺~堀之内1古式期
貝層を含む土坑が南貝層の北西側に一列に並ぶように等間隔に分布します。この時期の魚介類残滓の送り場がこのような位置に配置されていたと考えます。偶然にこのような場所に配置されたのではなく、竪穴住居及び南貝層の北西縁が魚介類残滓送り場として意識され配置されたと考えます。
台地西端付近の貝層を含む土坑も同じくその場所を意識して、集落から離れているにも関わらず魚介類残滓送り場として設定したものと考えます。

1-3 堀之内1式期

堀之内1式期
北貝層付近に多数の貝層を含む土坑が分布するとともに貝層・漆喰を含む土坑、漆喰を含む土坑が分布します。北貝層付近は屋外漆喰炉が集中することから、この時期の魚介類調理の拠点であったと想定でき、その関係で魚介類送り場が多数分布するのだと考えます。
南貝層付近では称名寺~堀之内1古式期にひきつづき竪穴住居及び南貝層の北西縁とその延長に貝層を含む土坑が分布します。

1-4 堀之内2式期

堀之内2式期
北貝層付近の2基の貝層を含む土坑を除くと、竪穴住居から離れた場所に貝層を含む土坑が分布します。
この分布はこの時期の住人によって意図的に設置された魚介類送り場であり、集落最初期から引き継がれてきている貝殻を使った(貝層、混貝土層による)集落円環構造構築の一環であると想定します。

1-5 堀之内2~加曽利B1式期

堀之内2~加曽利B1式期
この時期の竪穴住居はすべて漆喰貝層無竪穴住居ですが、この期の土坑に貝層を含むものがあることは特記事項になります。
竪穴住居廃絶祭祀で貝殻を使わないことからこの期の住民は非漁民と考えますが、漁撈を完全に行わなかったわけではないことが判りました。
竪穴住居と貝層を含む土坑が離れていて、単純な飲食残滓の送り場ではない、特別の送り場であったと推測します。

1-6 加曽利B1~B2式期

加曽利B1~B2式期
この時期の竪穴住居もすべて漆喰貝層無竪穴住居ですが、この期の土坑に貝層を含むものがあることは特記事項になります。
竪穴住居廃絶祭祀で貝殻を使わないことからこの期の住民は非漁民と考えますが、漁撈を完全に行わなかったわけではないことが判りました。

1-7 参考 後期全期

参考 後期全期

2 考察
2-1 漁撈活動時期
・竪穴住居の検討から集落の漁撈活動時期は称名寺~堀之内1古式期から堀之内2式期まであると考えます。発掘調査報告書でもおなじように考えています。しかし、土坑の検討から細々とした漁撈活動が集落最初期の加曽利E4~称名寺古式期と集落消滅期の堀之内2~加曽利B1式期と加曽利B1~B2式期もおこなわれていたことが判りました。

2-2 貝層を含む土坑が意識して配置された可能性
・貝層を含む土坑は全て台地平面であり斜面に建設された土坑にはありません。
・また全期を通した分布をみると漆喰貝層有竪穴住居および貝層(北、南、西貝層)の内側縁に分布するものが多くなっています。
・集落中央部の台地には貝層を含む土坑はありません。
・これらの特徴から貝層を含む土坑つまり魚介類飲食残滓の送り場は意識してこれらの場所に配置されたと想定します。

2-3 屋外漆喰炉との関係
北貝層には屋外漆喰炉が5基集中して検出されています。屋外漆喰炉では集落全体に関わる魚介類調理(保存や交易のための調理を含む)が行われていたと考えられますから、その付近に調理残滓を送る(廃棄する)ための土坑が必要だったと考えることもできます。
つまり北貝層付近の貝層を含む土坑は集落生業に関わるもので、日常家庭生活の送り場とは性格が異なる可能性があります。
貝層・漆喰を含む土坑、漆喰を含む土坑が北貝層付近に集中する理由も集落生業との関わりで説明できると考えます。

参考 後期全期 漆喰屋外炉追記








2018年3月12日月曜日

フラスコ土坑・円筒土坑の時期別分布

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 7

大膳野南貝塚後期集落の土坑について指標別に時期別分布の検討しています。これまでに指標「体積類型」、「平面形型」について検討しました。
この記事では指標「フラスコ状、円筒状」について時期別分布を検討します。
フラスコ土坑、円筒土坑の建設目的は食糧貯蔵のためであると考えられています。

1 フラスコ土坑、円筒土坑の例
フラスコ土坑と円筒土坑の例を発掘調査報告書から引用します。

フラスコ土坑の例

円筒土坑の例

2 フラスコ土坑・円筒土坑の時期別分布
2-1 加曽利E4~称名寺古式期

加曽利E4~称名寺古式期
フラスコ土坑、円筒土坑ともに出現しません。遺跡北部にこの時期の貯蔵庫ゾーンが存在していたという体積類型で検討した推測に疑問がともります。

2-2 称名寺~堀之内1古式期

称名寺~堀之内1古式期
遺跡南西部にフラスコ土坑と円筒土坑が集中して分布していて、この時期の貯蔵庫ゾーンがこの場所であったという体積類型で行った推測の蓋然性を高めることができます。

2-3 堀之内1式期

堀之内1式期
体積類型で行った貯蔵庫ゾーンの区域イメージとフラスコ土坑・円筒土坑分布は略一致します。しかし南貝層付近のフラスコ土坑・円筒土坑分布が濃いことがわかりました。

2-4 堀之内2式期

堀之内2式期
フラスコ土坑は出現しません。

2-5 堀之内2~加曽利B1式期

堀之内2~加曽利B1式期
フラスコ土坑と円筒土坑はともに出現しません。

2-6 加曽利B1~B2式期

加曽利B1~B2式期
フラスコ土坑は出現しません。

2-7 参考 後期全期

参考 後期全期

3 考察
フラスコ土坑と円筒土坑の出現数を時期別にグラフにすると次のようになります。

フラスコ土坑と円筒土坑数

この土坑数を時期別竪穴住居数で割ると「竪穴住居1軒当たりフラスコ土坑円筒土坑合計数」という指標になります。

竪穴住居1軒当たりフラスコ土坑円筒土坑合計数
このグラフからわかる次の特徴について考察します。
1 全期の値0.45と堀之内1式期の値0.36が近似していること。
2 加曽利E4~称名寺古式期の値がゼロであること。
3 称名寺~堀之内1古式期の値が飛びぬけて大きくなっていること。

1について
全期の値が0.45であり、竪穴住居数が急増してピークを迎えた堀之内1式期の値が0.36であるということはフラスコ土坑円筒土坑が竪穴住居1軒1軒に対応していないことを証明します。
時期別あるいは全期いずれも、竪穴住居軒数とフラスコ土坑円筒土坑合計数は同時に存在したものではありませんが、値は時間断面における竪穴住居1軒当たりフラスコ土坑円筒土坑合計数を表しています。
つまりフラスコ土坑円筒土坑は集落全体であるいは集落内部の小集団単位で使われた共同の食糧貯蔵庫であると考えて間違いありません。

2と3について
ア 発掘調査報告書では土器型式加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期を区分していますが、この土器型式の違いは時間的に同時に存在していたと他の検討から考えています。2018.03.05記事「土坑(体積類型)の時期別分布 大膳野南貝塚後期集落」のメモ参照
そのように考えると、加曽利E4~称名寺古式期および称名寺~堀之内1古式期を一緒に扱うと竪穴住居1軒当たりフラスコ土坑円筒土坑合計数の値は0.9となり、その異常さは低減します。しかし全期の倍の値となっていて異常であることにかわりはありません。

イ 集落の最初期(加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期)の住民は他の場所からこの大膳野南貝塚の場所に移住してきた集落始祖家族といえる人々です。
この場所に移住してきたということはもともと住んでいた場所で生活が成り立たなくなったということを意味します。
つまり集落始祖家族は生活が成り立たない状況(飢餓状況)を知っていて、食料貯蔵に対する備えは2重3重に行ったと考えて間違いありません。食糧を順調に調達できる時期と比べて集落最初期の人々は食糧貯蔵庫を沢山建設して多量の食糧を保存したと考えることができます。
これが、集落最初期の竪穴住居1軒当たりフラスコ土坑円筒土坑合計数の値が大きい理由です。

なお、石器数の検討で最初期(加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期を一緒に扱った時期)の竪穴住居1軒当たり平均石器出土数が異常に大きな値になります。これの直接的な解釈は、集落始祖家族に対する祭祀が特別厚かったからだと考えますが(2018.01.16記事「竪穴住居からの石器出土数時期変化」参照)、その背景には最初期の人々が石器を多量に所持していたという事情があると考えます。
飢餓状況を体験した前居住地から大膳野南貝塚の場所に新天地を求めた人々が、生活手段である石器を多量に所持してどのような状況でも植物採集調理や狩猟が行えるように備えたことは想像に難くありません。

2018年3月11日日曜日

土坑(平面形型)の時期別分布

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 6

大膳野南貝塚後期集落の土坑について指標別に時期別分布を検討しています。これまでに指標「体積類型」について検討しました。
この記事では指標「平面形型」について時期別分布を検討します。

なお次の土坑に関する指標について順次時期別分布を検討します。
●フラスコ型土坑
●円筒型土坑
●貝層土坑
●漆喰土坑
●周辺小ピット付土坑
●土坑墓可能性土坑

1 平面形型の区分
発掘調査報告書における土坑平面形記述を次のように4類型に区分して検討することにします。

土坑平面形型

土坑平面形型の統計
・円形型は土坑空間体積(容量)に対して表面積が最小になるので湿気の影響を受けにくいなどの特性が考えられ、食糧等の貯蔵に有利であることから数が多いと考えられます。
・楕円形型が何故存在しているのか、その理由は今後詳しく検討することにしますが、現在は次のような理由があるのではないかと推測しています。
ア 細長いモノを貯蔵あるいは埋納するために楕円形にした。
イ 土坑の出入り(昇降)施設を設置するために楕円形にした。
ウ 土坑建設労働をしやすくする為に楕円形にした。
・方形型の存在理由は特段の意味があるに違いないと推定しますが、現時点では具体的イメージを持てていません。
・その他型の方形型以上に意味がある可能性が濃厚ですが、現時点では具体的イメージを持てていません。

2 時期別土坑(平面形型)分布
2-1 加曽利E4~称名寺古式期

加曽利E4~称名寺古式期
この時期だけ土坑平面形型分布は異常といっていいと思います。土坑5箇所のうち一般的である円形型は1基だけで、他は方形型2基、その他型2基となります。
この時期だけ何故土坑平面形型のメインが円形型・楕円形型ではないのか、今後注意深く検討していくことにします。

2-2 称名寺~堀之内1古式期

称名寺~堀之内1古式期
方形型1基、その他型1基で残りは全て円形型と楕円形型です。この情報は加曽利E4~称名寺古式期の情報と大いに異なり、その理由を継続して検討することにします。

2-3 堀之内1式期

堀之内1式期
円形型と楕円形型がほとんどでありそれ以外は方形型が3基だけです。

2-4 堀之内2式期

堀之内2式期
円形型と楕円形型から構成されます。

2-5 堀之内2~加曽利B1式期

堀之内2~加曽利B1式期
円形型と楕円形型から構成されます。

2-6 加曽利B1~B2式期

加曽利B1~B2式期
その他型1基がありますが、残りはすべて円形型と楕円形型です。
2-7 参考 後期全期

参考 後期全期

3 考察
平面形型の違いは土坑機能(利用目的)の違いに関わっていると推測していますが、その具体的関わり方の知識がないので、現段階では詳しい分析に至りません。しかし、今後他の指標を順次検討する中で平面形型を生かした集落形成・終焉に関わる分析を行うことにします。


2018年3月8日木曜日

土坑(体積類型)の時期別分布 全期

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 5

この記事は2018.03.07記事「土坑(体積類型)の時期別分布 集落衰退消滅期」のつづきで土坑(体積類型)のまとめです。

3-6 時期別土坑(体積類型)の特徴とりまとめ
前回記事までの検討を踏まえ、土坑を体積類型した場合、次のような思考をメモすることができます。
●特大土坑、大土坑
・特大土坑と大土坑の当初建設目的は主食堅果類等の貯蔵庫であったと想定します。
・ただし、その土坑が廃絶するときは廃絶祭祀が行われ送り場となったり、土坑墓として利用されたことは排除できないと考えます。
・特大土坑と大土坑は竪穴住居直近のものと竪穴住居から大きく離れた場所のものに2分して分布していると捉えることができ、貯蔵庫としての利用機能が異なっていたと想定します。竪穴住居から大きく離れた特大・大土坑は衛生面等を考慮したメイン貯蔵庫(長期貯蔵用)、竪穴住居近くのものはサブ貯蔵庫(短期貯蔵用)かもしれません。
・特大・大土坑の位置、つまり集落における貯蔵庫ゾーンの位置は時期によって異なります。
・集落開始期の漆喰貝層有竪穴住居家族の貯蔵庫ゾーンは遺跡南西部、同じ頃の漆喰貝層無竪穴住居家族の貯蔵庫ゾーンは遺跡北部と分かれていましたが、集落最盛期には遺跡北部に貯蔵庫ゾーンが集約されていて、主食貯蔵という側面は漆喰貝層無竪穴住居家族(非漁民家族)が主導していたように推測できます。
●中土坑
・集落最盛期の中土坑の分布を見ると特大・大土坑の分布に近く、小土坑分布とは明らかに異なりますから、中土坑の建設当初目的も特大・大土坑と同じく食糧貯蔵であったと推定します。中土坑は特大・大土坑よりも竪穴住居に近づいて分布していますから、貯蔵品目や貯蔵目的が異なっていた可能性があります。特大・大土坑は集落全体の食糧が底をつく春先用食料貯蔵、中土坑は竪穴住居家族毎の収穫物一時貯蔵など。
・集落衰退期には竪穴住居軒数が激減し、同時に特大・大土坑が姿を消しますから、この時期の集落メイン貯蔵庫は中土坑であったと考えられます。
●小土坑
・小土坑の当初建設目的は生活に必要な送り場であったと想定します。
・竪穴住居直近の小土坑は日常生活で排出される不要物を送る場であったと考えます。アイヌの例では排出物の種類ごとに送り場が異なっていたので、小土坑も同時に多数存在していて、食糧残滓、道具類、灰などの排出物別に使い分けていたのかもしれません。
・竪穴住居からはなれた場所の小土坑は列状に分布し、次々に建設され利用された様子が感得されます。非日常的な送り場であり、土坑墓の可能性も排除できません。特に集落中央部の列状小土坑は葬送に関わるような土坑であると推測します。

3-7 土坑(体積類型)の全期分布
下図のように時期の不明な土坑が多数存在しますから、これらを含めて後期集落の全時期の土坑(体積類型)について考察します。

参考 時期別土坑数

3-7-1 全期 土坑(体積類型)分布

全期 土坑(体積類型)分布
土坑の分布は密集しているところが多く、孤立して1つだけ分布しているものは少ないことから、集落全期間を通してみると、土坑建設適地はいつも同じ場所であったと考えられます。土坑密集地つまり土坑立地適地と竪穴住居との関係からその土坑の機能をある程度推察することが可能であると考えます。

3-7-2 全期 特大・大土坑分布

全期 特大・大土坑分布
2つの土坑が隣接している場所が数か所あり、土坑建て替え(掘り替え)があったものと推測します。
集落リーダーの竪穴住居(集落の文化的中心地)から離れた場所に分布しているものが多くなっています。しかし、円環状構造の中心にはほとんど分布しません。

3-7-3 全期 中土坑分布

全期 中土坑分布
3つの土坑が密集している場所が4カ所あり、建て替え(掘り替え)があったものと考えられます。
特大・大土坑と同じように集落円環構造の中心部には分布しません。

3-7-4 全期 小土坑分布

全期 小土坑分布
塊状に密集するところがあり、その場所は特定の送り場として、何度も小土坑が掘りなおされた場所であると想定します。
列状に分布するところも多くみられます。列状分布は次々に土坑が建設され、土坑どうしは隣接しているけれども、結果として最初の土坑と最後の土坑の位置は離れている状況を呈しています。これはその土坑の絶対的な位置にこだわっていないので、その土坑を日常的に使っているのではなく、非日常的に使った様子を表現していると考えられます。
特に集落中央部の列状分布は非日常的な送り場で、土坑墓であったかもしれないと想像しています。

2018年3月7日水曜日

土坑(体積類型)の時期別分布 集落衰退消滅期

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 4

この記事は2018.03.06記事「土坑(体積類型)の時期別分布 集落最盛期」のつづきです。

3-5 堀之内2式期の土坑と竪穴住居

堀之内2式期の土坑と竪穴住居
特大土坑が遺跡中北部に存在していて、この時期の主食貯蔵庫であったと考えます。この場所は前期(堀之内1式期)から踏襲しています。
竪穴住居直近に日常的送り場が想定される土坑が、竪穴住居から離れた場所に非日常的送り場が想定される土坑が分布します。遺跡南西部の大土坑は発掘調査報告書で土坑墓の可能性があるものとして記載されています。(追って別記事で詳細検討予定)

3-6 堀之内2~加曽利B1期の土坑と竪穴住居

堀之内2~加曽利B1期の土坑と竪穴住居
いずれの土坑も竪穴住居から離れています。中土坑は貯蔵庫、小土坑は非日常的送り場として想定しておき、情報の蓄積を待ちます。

3-7 加曽利B1~B2式期の土坑と竪穴住居

加曽利B1~B2式期の土坑と竪穴住居
集落終末期の姿です。北貝層にかかる中土坑3基が貯蔵庫、竪穴住居から遠く離れた中土坑と小土坑が非日常的送り場ということでしょうか。情報の蓄積を待って検討を深めます。

つづく

2018年3月6日火曜日

土坑(体積類型)の時期別分布 集落最盛期

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 3

この記事は2018.03.05記事「土坑(体積類型)の時期別分布 大膳野南貝塚後期集落」のつづきです。

3-4 堀之内1式期の土坑と竪穴住居

堀之内1式期の土坑と竪穴住居

この図を分解して土坑体積類型別抜き書き図を作成して、より直観的に分布を把握して検討します。

堀之内1式期の土坑と竪穴住居 特大土坑のみ表示
特大土坑の機能は貯蔵用であると想定できますが、その場所が称名寺~堀之内1古式期(漆喰貝層有竪穴住居対応)の貯蔵庫ゾーンではなく、加曽利E4~称名寺古式期(漆喰貝層無竪穴住居対応)の貯蔵庫ゾーンの近くになっています。位置が変化していることに大いに着目します。また5か所の特大土坑のうち3箇所は竪穴住居から離れ、2箇所は竪穴住居直近のように観察できます。

堀之内1式期の土坑と竪穴住居 大土坑のみ表示
集落南西部にある土坑は1つだけで、特大土坑の分布と似ています。


堀之内1式期の土坑と竪穴住居 中土坑のみ表示
集落南西部に土坑は1つだけありますが、他はいずれも竪穴住居に近くなっています。

堀之内1式期の土坑と竪穴住居 小土坑のみ表示
竪穴住居直近のものだけでなく、集落中央部のいずれの竪穴住居からも離れた場所に分布しているものがあります。
竪穴住居直近のものは住居生活における身近な送り場(廃物の送り場)、竪穴住居から離れたものは非日常的な送り場(土坑墓など?)と仮に考えておきます。

●考察
集落における貯蔵庫ゾーンが称名寺~堀之内1古式期における遺跡南西部から、堀之内1式期には遺跡中北部に移動したと考えます。
遺跡中北部には漆喰貝層無竪穴住居の分布が多く、また漆喰貝層無竪穴住居だけの加曽利E4~称名寺古式期の貯蔵庫ゾーンが遺跡北部であったことから、貯蔵庫ゾーンの移動は漆喰貝層無竪穴住居の影響が強かったからだと想像します。
つまり堅果類の貯蔵では漆喰貝層無竪穴住居家族が大きな役割を果たしていたと想像します。

つづく

2018年3月5日月曜日

土坑(体積類型)の時期別分布 大膳野南貝塚後期集落

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 2

1 土坑再検討の検討項目
発掘調査報告書に掲載されている土坑一覧表に基づくデータを電子化してQGISで分布図化できるので、最初にその項目を全て時期別に漆喰貝層有無別竪穴住居と関連付けて検討します。

大膳野南貝塚発掘調査報告書掲載土坑一覧表(一部)

既に電子化してある項目
●土坑体積
●土坑平面形状
●フラスコ型土坑
●円筒型土坑
●貝層土坑
●漆喰土坑
●周辺小ピット付土坑
●土坑墓可能性土坑

これらの検討の後、再度発掘調査報告書土坑記述を精読して検討項目を補足して検討する予定です。

この記事では以下土坑体積に関する検討に着手します。

2 土坑体積による類型区分と時期別土坑数
発掘調査報告書に掲載されている土坑平面規模と土坑深さのデータから土坑体積を計算しました。土坑体積はそれに要する労力の大きさと収納空間の大きさに比例します。従って土坑体積の大小は、土坑用途の違いは有るにもかかわらず、縄文集落にとっての重要性に比例する基本指標になると考えます。
土坑体積は次のように4段階に区分してその時期変化を考察することにします。

土坑体積の累計区分
なお、土坑体積の全平均は0.48㎥になります。

時期別土坑数

3 時期別体積区分別土坑分布
3-1 体積区分別土坑分布の解釈の前提
以下に示す時期別土坑・竪穴住居分布図は、その図に示されるもの以外に、その時期に含まれる別の土坑及び竪穴住居が存在していた可能性は十分にあります。
また、図示される土坑・竪穴住居がすべて同一時点で存在していた保証はありません。
しかし、限定された遺構とは言え、ほぼ同時期(50年間くらいのタイムスパンか?)の土坑と竪穴住居分布が判ったことは貴重なデータが得られたと考えられます。そこで、あえて図示した全ての遺構のみが同時に存在したかのように仮定して情報を取り出します。
なお、その用途を類推できる情報が存在しない場合、特大土坑、大土坑の主な用途は貯蔵、中土坑は多用途、小土坑の主な用途は送り場であるとイメージして検討することにします。

3-2 加曽利E4~称名寺古式期の土坑と竪穴住居

加曽利E4~称名寺古式期の土坑と竪穴住居
●検討
竪穴住居から離れた場所(15-6m)に大土坑が3つ、小土坑が1つ、竪穴住居のすぐ近くに小土坑が1つ分布します。
竪穴住居からはなれた大土坑は貯蔵用でありその場所が遺跡北側という特異な場所であることに着目します。
小土坑は送り場であると想定し、竪穴住居直近のものと離れたものがあり、同じ送り場でも具体的な様子は異なっていたと着目します。

3-3 称名寺~堀之内1古式期の土坑と竪穴住居

称名寺~堀之内1古式期の土坑と竪穴住居
●検討1
遺跡南西部に大土坑と中土坑が集中し、この場所がこの期の貯蔵庫ゾーンであったと推定できます。
竪穴住居から離れた場所にある小土坑は日常的でない送り場(例 土坑墓なども含まれるかもしれない)の可能性を疑います。
竪穴住居直近の中土坑と小土坑は日常的な送り場(現代風に考えればゴミ捨て場)であると推測します。

●検討2
貯蔵庫ゾーンの場所が前期集落における貯蔵庫ゾーンの場所と略一致するのでメモしておきます

参考 前期集落の貯蔵庫ゾーン(土坑集中域)

参考 前期集落貯蔵庫ゾーンからのオニグルミ核出土状況

後期集落の称名寺~堀之内1古式期における貯蔵庫ゾーンと前期集落の貯蔵庫ゾーンの場所が略一致する理由はその場所が竪穴住居から離れていて衛生面で有利であることと、西側の深い谷津に面していて地下水位が深く水はけがよいことなどが挙げられます。

●検討3
加曽利E4~称名寺古式期の貯蔵庫ゾーンと称名寺~堀之内1古式期の貯蔵庫ゾーンの場所が全く異なる理由は加曽利E4~称名寺古式期の住民は漆喰貝層無竪穴住居の住民であり非漁民であり、称名寺~堀之内1古式期の住民は漆喰貝層有竪穴住居の住民であり、つまり漁民であり、その生業と出自が異なる異集団であることに由来すると考えます。
加曽利E4~称名寺古式期の集落は遺跡区域北側の外に広がっていて、遺跡区域内に存在する竪穴住居はその時期集落の南端に位置していたのかもしれません。

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●メモ
なお発掘調査報告書では加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期の土器型式の違いに時間的な前後関係を想定していますが、このブログでは異なる集団による文化受容スピードの違いである可能性を想定しています。
加曽利E4~称名寺古式期土器利用集団(漆喰貝層無竪穴住居住民)と称名寺~堀之内1古式期土器利用集団(漆喰貝層有竪穴住居住民)は時間的に共伴していた(共存していた)と考えています。

参考

参考
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つづく

2018年3月2日金曜日

土坑の再検討 予察

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 1

2018.03.01記事「大膳野南貝塚 学習収斂に向けた興味まとめと今後の予定」に書いた通り大膳野南貝塚学習収斂に向け、最初に土坑の再検討を行います。
この記事ではなぜ土坑の再検討を行うのか、そのキッカケになった分布図を示します。

1 フラスコ型・円筒型土坑予察図

フラスコ型・円筒型土坑
フラスコ型・円筒型土坑は容量が大きく堅果類等の貯蔵用であると考えることができます。その分布をみると円環状であり集落土地利用意思と関係あるように感じられます。
また竪穴住居から離れた場所に位置していて、逆にこれらの土坑からある程度距離をとって竪穴住居が建設されたとも考えられ、この面からも集落土地利用意思との関係を感じることができます。また円筒型土坑は複数が密集して分布しているところがあり、作り替えが行われたのか確認したくなります。さらにフラスコ型と円筒型の違いはなんでなのか興味が湧きます。貯蔵した物の種類が違うのかどうか。
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居が別々にこれらの貯蔵用土坑を使っていたとすれば、どれがそれぞれに対応するのか、検討できるかどうか検討していくことにします。

2 貝層・漆喰土坑予察図

貝層・漆喰土坑
貝層・漆喰土坑は当初の目的は別として、最後は漆喰貝層有竪穴住居の送り場として使われたものであると考えることができます。
その分布は漆喰貝層有竪穴住居の分布と略一致します。また土坑の位置がフラスコ型・円筒型土坑よりも竪穴住居に近く、送り場が住居の直近にあったことが判ります。
また分布から貝層・漆喰土坑は漆喰貝層無竪穴住居は使っていなかったことが判ります。

3 フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑予察図

フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑
フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑には幾つかの別機能土坑が含まれている可能性がありますが、漆喰貝層無竪穴住居の送り場としての土坑が含まれていたことは確実であると考えます。
また分布が竪穴住居から離れた場所で列状になることが気になります。これらの中に土坑墓が含まれている可能性もあります。

4 土坑検討項目
・貯蔵用土坑と考えられるフラスコ型土坑と円筒型土坑について時期別に土坑と竪穴住居の関係を捉えらるか検討することにします。
・また貯蔵用土坑について、利用者に関して何らかの手がかりが得られるか検討します。(漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居別など)
・貝層・漆喰土坑と漆喰貝層有竪穴住居のほか、屋外漆喰炉等の情報を加え時期別に検討して漁民家族集団の活動イメージを豊かにします。
・フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑を幾つかの別機能土坑に区分できるのかどうか、その中に漆喰貝層無竪穴住居の送り場土坑が含まれているのか、土坑墓がふくまれているのか検討します。

昨年7月頃の大膳野南貝塚土坑学習ではまだQGISの扱いに慣れていなかったため、項目ごとの集計や分布図作成(平面形状、大きさ、時期、…)に終始し、項目をクロスさせて生まれる詳細項目の集計や分布図作成に至りませんでした。
その後QGISの操作にも慣れ、例えば「フラスコ型土坑の時期別分布」などの詳細データの作成と分布図作成が抵抗感なく出来るようになったので、あらためて再検討することになりました。QGIS操作技術向上により思考レベル向上が図られています。


2018年3月1日木曜日

大膳野南貝塚 学習収斂に向けた興味まとめと今後の予定

1 大膳野南貝塚学習の興味まとめ
2016年12月から2017年4月までの5か月間、及び2017年12月から2018年2月までの3か月間合計8か月間がこれまで取り組んできた大膳野南貝塚学習の期間です。
シナリオのない学習としてスタートしましたが、この3か月の学習で大きな興味を次の5点に絞ることが出来ましたのでメモしておきます。

1 後期集落が始まり急成長した要因は何か?
2 後期集落が急減退・衰退消滅した要因は何か?
3 後期集落で共伴する漆喰貝層有竪穴住居グループと漆喰貝層無竪穴住居グループの関係はどのようなものか?
4 前期集落の浮島式土器優勢竪穴住居家族と諸磯式土器優勢竪穴住居家族の関係はどのようなものか?
5 3と4の問題意識を関連させることは有意義であるか?

このような興味(問題意識)に基づいて近々大膳野南貝塚学習を一旦とりまとめることにします。

2 学習とりまとめ前に行う分析作業と考察
次の項目に限定して分析作業と考察を行い、学習の総とりまとめを行うことにします。

1 後期集落追加分析・考察
1-1 土坑の再検討
土坑を再検討することにより集落構造がより明確になりそうです。
・貯蔵庫の分布…竪穴住居からはなれて、全域に環状分布→フラスコ、円筒
・漆喰貝層有竪穴住居用送り場…貝層出土土坑
・漆喰貝層無竪穴住居用送り場…貝層が出土しない土坑
1-2 住居関連指標の予察検討
今後労力時間を投じて価値のある結果が出そうか?という予察検討を行います。
・漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居で住居関連指標に意味のある差があるか?
出自・文化が違うならば意味のある差があるかもしれないと考えます。
例 大きさ(検討済み)、形状そのもの、杭の数・配列、杭の深さ、構造に関係しない杭の存在、堀込の深さ、床のしつらえ、地形と床の傾斜の関係、炉の構造・位置等…
1-3 土器指標の予察検討
今後労力時間を投じて価値のある結果が出そうか?という予察検討を行います。
・漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居で土器指標(文様、器種、破壊の様子等)に意味のある差があるか?
1-4 漆喰貝層無竪穴住居家族の生業に関する考察
漆喰貝層有竪穴住居家族が漁撈している時、漆喰貝層無竪穴住居家族はどんな生業活動をしていたのか。独自の狩猟か?植物採集栽培か?漆など工芸か?急斜面に竪穴住居が存在していてヒントになりそうです。
1-5 漆喰貝層有竪穴住居家族と漆喰貝層無竪穴住居家族の共同関係のイメージ考察
・協働作業の項目、分業は存在したか、祭祀は別か
1-6 集落急成長と急減退・衰退の要因推測
・急成長は人口自然増加か、他所からの流入か?
・急減退の要因は何か…急減退の主因と漁撈条件悪化は同じか、違うか?
・漁撈消滅の要因は何か
・集落急減退・衰退は人口自然減(死滅)か他所への流出か?
2 後期集落と前期集落の比較分析
・後期集落と前期集落の石器組成の比較…生業の違いが鮮明になるか?
・後期集落と前期集落の「竪穴住居+土坑」による集落構造の比較

3 学習総とりまとめ
自分の興味を深める分析作業的学習に当面の限界はないと思いますが、とりあえず2の作業を終了した時点で分析作業等を機械的強制的に打ち切り、学習の総とりまとめを行い活動を区切ることにします。
学習の総とりまとめは判ったことと派生した問題意識等をデータとともに簡潔に表現し、今後の縄文時代学習のよすがとします。

大膳野南貝塚学習でこれまでに作成したQGISレイヤー