2020.05.26から再開した加曽利貝塚博物館の新たなショーケースに展示された独鈷石のついて観察記録3Dモデルをつくり観察しました。
1 縄文晩期独鈷石(千葉市加曽利貝塚 南貝塚11区) 観察記録3Dモデル
縄文晩期独鈷石(千葉市加曽利貝塚 南貝塚11区) 観察記録3Dモデル
凸部・体部とも断面楕円形、両端がわずかに一方に傾く、先端は石斧刃部状、入念に研磨特に両端に顕著、黒色土層下部の晩期層から単独出土。(「史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会))
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2020.06.02
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 121 images
展示の様子
独鈷石の挿図
「史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)掲載図を180度回転して引用
2 観察と感想
ア 独鈷石の意義
大工原豊 他著「縄文石器提要」(ニューサイエンス社)によれば独鈷状石器は柄を装着して使われたもので、儀仗の先端部に付される石製儀器と想定されると説明されています。
装着痕のある独鈷状石器
大工原豊 他著「縄文石器提要」(ニューサイエンス社)から引用
儀仗とは儀式に使う武器のことですから環状石斧などと同じ系譜であると考えます。
対人戦闘用武器が縄文時代列島に存在しなかったと考えると独鈷石も環状石斧などと同じく大陸からの移入文化であると想像します。
独鈷石の役割は罪人に対する制裁・処刑用刑罰具であったと想像します。制裁や処刑に実用具として使われるとともに、司法の象徴として機能していたと想像します。集落リーダーの司法的権威の象徴(司法的威信具)であったにちがいありません。
独鈷石は最後の縄文石器と呼ばれていますが、縄文晩期には大陸からの影響が断続的に存在していたことと独鈷石が生まれたことと関係あると空想します。
また、縄文後期から深まる社会劣化により治安等社会の乱れが増幅していたことと独鈷石誕生が関係あると空想します。
イ 3Dモデルの出来
撮影写真121枚を使い、3Dモデルはかなり出来の良いものになりました。
カメラ配置の様子
ウ 画僧処理による観察
Photoshop画像処理により観察しました。
Photoshop画像処理
現物を手に取ってその感触や重さや温度などを肉体的に観察できないので、その代償行為として視覚面における画像処理観察等をしています。いつかこの観察からなにかわかるかもしれません。新しい画像処理も試みてみることにします。
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