縄文土器学習 419
土偶、装身具、葬祭用土器・石器、特殊建物、抜歯、製塩などの文化的遺物・事象の「分量」が縄文社会消長(=人口増減)と深くかかわる要因であるという直観(仮説)が生まれました。その一つの指標として1992年全国土偶悉皆調査データを分析しています。
2020.07.08記事「1992年全国土偶集成情報の分析」
この記事では1遺跡当たり土偶数を算出して考察しました。
1 土偶文化伝播のイメージ
土偶文化伝播イメージ
時期別土偶分布図から土偶文化が山梨・長野→茨城・千葉→岩手・青森の順に伝播し、その順に社会衰退が進行したのではないだろうかと前記事で考えました。
2 長野県、千葉県、岩手県の1遺跡当たり土偶数
ア 長野県、千葉県、岩手県の時期別遺跡数
勅使河原彰著「縄文時代史」(2016、新泉社)に次の遺跡数時期別グラフが掲載されています。
遺跡数時期別グラフ
勅使河原彰著「縄文時代史」(2016、新泉社)から引用
このグラフから長野県、千葉県、岩手県の時期別遺跡数概数を読み取りデータとしました。
イ 長野県、千葉県、岩手県の土偶数
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から3県の時期別土偶数を入手しました。
土偶出土数(1992年調査)
ウ 長野県、千葉県、岩手県の1遺跡当たり土偶数
土偶数の調査年(1992年)と遺跡数の調査年(2016年頃?)の平仄はあいませんが、物事のイメージを捉えようとする作業ですから強引に土偶数/遺跡数を計算して、次のグラフを得ました。
1遺跡当たり土偶数
大きな特徴として次の2点をあげることができます。
・3県ともに時期が下るにしたがって1遺跡当たり土偶数の値が大きくなります。長野県と千葉県では中期→後期→晩期と遺跡数が急減します。しかし、1遺跡当たり土偶数は大きくなります。岩手県では後期→晩期で遺跡数が減少します。しかし、1遺跡当たり土偶数は大きくなります。これは社会崩壊あるいは縮減しても土偶文化は逆に盛んになっている様子を表現していると考えます。
・晩期になると1遺跡当たり土偶数の値の大きさの順番が岩手県→千葉県→長野県になります。この様子は土偶文化が長野県→千葉県→岩手県と伝播するなかでそのパワーが増幅されていることを表現していると考えます。
3 考察メモ
縄文中期頃山梨県や長野県付近で生まれた土偶文化(土偶をつくり、土偶祭祀を行う文化)は時間を経過すると強まり、また茨城県・千葉県やさらに岩手県・青森県に伝播するとその度に文化がよりパワフルになることがわかりました。
私の現在の見立てでは、土偶文化とは、食うためにだけ活動する生活に飽き足らなくなった人々が一種の宗教的活動を導入して文化的豊かさを獲得した活動であると考えます。
土偶を自分でつくる手作業とそれを使った祭祀活動は、それが無かった時代の生活と比べると文化的満足感はとても強かったと想像します。女性たちに生きがいが生まれ、それを放棄することはあり得ないのだと思います。
同時にその活動は(他の奢侈品・祭具・祭場づくり…などの文化活動と総合して)食うための活動を圧迫したに違いありません。食うための活動には革命的改善(農業の開始)による食糧獲得増大がないのに、農業社会の文化的活動を導入してそれに時間とエネルギーを消費してしまうという間違いを縄文人は犯したのだと空想します。
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