2020年2月18日火曜日

沈線刻後に施された縄文の様子

縄文土器学習 349

称名寺式土器はそれ以前の土器と異なり沈線が刻まれた後に縄文が施されています。
その様子を3Dモデルに注記を入れてわかるようにしてみました。

称名寺式土器3Dモデルの沈線と縄文の切りあい画面

称名寺式深鉢形土器(千葉市餅ヶ崎遺跡) 観察記録3Dモデル  注記付き
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.12.27
許可:加曽利貝塚博物館の許可により全周多視点撮影及び3Dモデル公表
注記はモデル作成者の感想
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.523 processing 93 images

沈線と縄文切りあいの様子は昨年の加曽利貝塚博物館主催講演会で加納実先生が次のように説明されています。

称名寺式より前の縄文と沈線の切りあい
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用
縄文施文後に沈線を刻むと、縄文部分が一部めくれてしまいます。

称名寺式以後の縄文と沈線の切りあい
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用
沈線刻後に縄文を施すと、沈線部で縄文がめくりあがることはありません。

沈線刻後に縄文を施しているということは縄文が文様の図になったということです。それまでは縄文は土器文様の地であったということです。
この違いは単なる施文技術の変化としてではなく、より広い社会現象の一環の事象に違いないとして学習するつもりです。

沈線刻後に狭い範囲に縄文を施すということはかなり根気のいる手作業です。それだけ土器作成に対して時間をかけています。土器作成に情熱(こだわり)が生まれています。自ら負荷をかけているように感じられます。加曽利E式土器の機能優先デザインから明らかに変化しています。おそらく社会的困難(貧しさ)に立ち向かう心性と関連する事象として、縄文の地→図変化があったものと想像します。

0 件のコメント:

コメントを投稿