2020年8月4日火曜日

ヒスイ製丸玉(加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文石器学習 24

2020.08.02記事「ヒスイ製丸玉」及びブログ花見川流域を歩く番外編2020.08.04記事「ヒスイ製丸玉の3Dモデル作成ならず」で話題にしたヒスイ製丸玉の再撮影を行い、最低及第点の3Dモデルが出来ましたので、記録しておきます。

1 ヒスイ製丸玉(加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル

ヒスイ製丸玉(加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル
加曽利貝塚東斜面112号住居跡出土
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2020.08.04
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト3DFZephyrで生成v5.002processing28images

動画

2 感想
・与えられた条件(ショーケース内展示物のガラス面越し撮影)での3Dモデル作成としては、当面はこれ以上のものは出来ないと感じました。対象物を机の上に乗せてカメラを近づけることができれば、状況は大いに改善できると過去の体験から推察できます。
・二度目の撮影ですからピンボケや手振れを最大限避ける努力をしましたが、その過程で自分を観察すると、望遠画面が手で揺れていました。手持ちカメラ撮影の限界体験でした。

・2020.08.02記事「ヒスイ製丸玉」で次のようなメモを書きました。
「・逆に、土偶祭祀集団が最初にヒスイ原産地を押さえたからこそ、その勢力が東日本全体に及んだと考えることができます。土偶祭祀集団がヒスイ交易を完全に抑えていて、ヒスイ交易をツールにして、土偶祭祀の普及(=土偶祭祀集団の勢力拡大・版図拡大)を図ったと超空想します。」
・一方、山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の階層化説明に次の記述があり、ヒスイを誰が押さえていたかということを知る(推察する)ことが重要であるこを再認識しました。
「先に、漆塗製品やヒスイなどの奢侈品に触れたが、後晩期にこれらのモノの流通が特定の人々によって押さえられていた可能性は想定してみてもよいだろう。」




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