2020年8月5日水曜日

「記念墓」に関する想像的考察メモ

縄文社会消長分析学習 43

ブログ芋づる式読書のメモ2020.07.31記事「墓制と祖霊祭祀の発達」で「記念墓」概念を知り、強い知的刺激を受けメモを書きました。その後そのメモを追補したくなりましたので、文字通りの空想ですが、忘れないようにメモとして定着させます。埋葬に関する具体的な情報を多く知れば、この感想も大いに変わるに違いありません。

1 「記念墓」概念
「さらに、関東地方で多数合葬・複葬例が行われたのは、縄文時代後期前葉の時期にほぼ限定されることもわかっている。ちょうどこの頃は、それまでの大型集落が気候変動などにより一度分解し、少人数ごとに散らばって小規模な集落を営んだ後、再度、人々が新規に結合し大型の集落が形成されるようになった時期にあたっている。また、このような多数合葬・複葬例の墓坑内部もしくは、墓坑にごく近接した地点には柱穴が確認されていることから、上屋などの上部構造が存在したことが確実視されている。集落内においても目立つ存在だったようなのだ。
 これらの点から、私は多数合葬・複葬例を、集落が新規に開設される際に、伝統的な血縁関係者同士の墓をいったん棄却し、異なる血縁の人々と同じ墓に再埋葬することによって、生前の関係を撤廃し、新規に関係を再構築するもので、集団構造を直接的な血縁関係を主とするもの(たとえばリネージ)から地縁的な関係や擬似的な血縁関係に基づくもの(たとえばクラン)へと再構成させるための行為であったと考えている。
 リネージとは、直接的な血縁関係をたどることができる共通の先祖を持つ人々の出自集団であり、一方クランは血縁関係の有無は不問とするが、先祖は共通であると考えている人々の出自集団である。集落の新規統合が行われた時に、集団統合の儀礼として人骨の集積が行われ、多数合葬・複葬例となった。上屋のある多数合葬・複葬例は、集団統合のモニュメントとされたのだろう。このような墓のことを、私は最近になり「記念墓」と呼ぶようにしている。」山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

次のように要約できます。
・「記念墓」とは、後期前葉頃、異血縁2集団が同じ墓に再葬された現象である。
・「記念墓」活動により新集団が形成されたと推定される。
・新集団統合モニュメント(上屋・柱等)が「記念墓」に設置されたと推定される。

2 「記念墓」に関する感想
ア 外来集団と在来集団の統合
千葉では中期末から後期前半にかけて集団の入れ替えがあったと学習仮説しています。その「集団入れ替え」に対応する事象が記念墓による2集団の合同であったと学習仮説します。
外来集団…中部高地・東京(三多摩)から土偶祭祀を引っ提げてやってきた人々。中期土偶文化を担った人々。
在来集団…千葉・東京(区部)で土偶祭祀を拒否していた人々。中期貝塚文化を担った人々。
もともと同郷の人々が訳があってバラバラに居住し、その人々が再び結集したからといって、「記念墓」をつくるようなことは無いと考えます。

イ 解決しがたい対立・葛藤の究極の解決策「記念墓」
2集団がそれぞれ一度埋葬(最終埋葬)した人骨を墓から掘り出し、同じ場所に埋葬し直すという活動は尋常な心情ではないと思います。強い対立・葛藤があり、争いがある現実を終息させる究極の知恵が「記念墓」活動であったと想像します。
つまり「記念墓」があるということは、その背景にそれほどのことをしなければ現実の争いは収まらないということを表明しているのだと思います。

ウ 「記念墓」は多数事例の中の成功事例?
2集団の争いが支配-服属、征服-追放・奴隷化という形で解決した地域もあったかもしれないと想像します。「記念墓」の分布がどうなっているのか、詳しく知りたいです。
「記念墓」が作られても、その実態は外来進駐集団とそれに同調する在来集団一部の活動であり、在来集団の一部は排除されていたかもしれません。

エ 「記念墓」は外来進駐集団が在来集団を併合した記念碑?
「記念墓」は形の上では2集団が同じ墓にはいる同族化の美しい儀式です。しかし、現実生活では外来進駐集団による在来集団併合であり、実体は外来進駐集団の諸権利(漁業権・採集権・狩猟権)完全獲得の儀式であると考えることもできます。(形式は対等合併、実質は強者による弱者併合)
外来集団が実体として諸権利を奪っていて、その「法的根拠」づくりが「記念墓」活動という見立てもありうると思います。

オ 受傷人骨の意味
加曽利貝塚南貝塚(後期)で受傷人骨が出土しているようですが、在来集団の末裔が使役される階層になり、そのメンバーが処刑されたのではないかと疑念が浮かびます。価値ある検討対象です。
階層化の姿が受傷人骨から浮かび上がるかもしれません。

茨城県中妻貝塚の多数合葬・複葬例
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

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