2020年3月30日月曜日

異形台付土器(加曽利貝塚)2点の報告書記述

縄文土器学習 390

このブログでは現在加曽利貝塚博物館常設展に展示されている加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点の観察と考察を行っています。
この記事では異形台付土器出土遺構や出土状況について「史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)等の記述を抜き書きして学習します。

1 加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点の出土遺構
異形台付土器は貝塚南東傾斜面から検出された大型竪穴遺構である112号竪穴住居から出土しています。

112号竪穴住居の位置
「千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器時代・縄文時代)」から引用

112号竪穴住居
史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用
「ほぼ南北に長軸を持つ約19m×16m程の楕円形を呈すると見られる竪穴住居跡である。
地形の傾斜のため北から東にかけての壁は確認されなかったが、遺存状態の良い南西端では70cm以上の壁高がある。
壁に沿ってやや内側に、直径20~30cm、深さ10~40cm程度の小規模なピット(P111 ~192)が列をなし一部は複合して溝状となるが、壁が残っていない範囲では
検出されていない。従って、P192付近より北及び東側では、ハードローム層より上位の上層中に床面があったと考えて良い。」史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用

112号竪穴住居 発掘時写真
「千葉県の歴史」から引用

2 加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点の出土状況
「特殊遺構の床面附近における遺物の出土状況は、その南西部と東北部とではかなり異なっており、おもに南西部に集中している傾向があった。とくに、石棒と異形台付土器および玉類などの特殊遺物は、この南西部の外周の柱穴列と周壁との間からおもに発見されている。」

異形台付土器
史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用
「64・65は床面直上から出土したとされる異形台付土器で、64は「横に倒れた状態でほぼ原型のまま出土した」とされたもの、65 は「成立の状態で置かれた本土器が、ちょうど上部からの土圧で押しつぶされたような状態を示していた」とされたものである。
体部の注口状突起を正面に見た場合、一見すると同一の装飾と誤解しかねないふたつの士器は、同一文様を用いずに非常によく似た印象を与えるように製作されている。口縁部と台部を装飾する帯縄文は、64では上下を沈線で区画して端部に狭い無文部を持つのに対し、65 には端部側の沈線がない。
互連弧充填縄文ふたつで装飾する体部では、64は左右、65は上下に向き合うように配置している。
体部と口頸部・台部との区分は、64は隆帯状となる二本の沈線間に工具の側面を押し付けた刻み目を施すのに対し、65は一本の沈線のみである。
注口状突起の装飾は、64は円管状工具の先端による刺突文であるのに対し、65は縄文を施文する。
それぞれに施文する縄文原体は、64はRL、65 はLRである。
なお、『紀要8』では、「丹彩の痕跡」が64の体部と台部に認められ、65にはないとされている。現状肉眼では、64の注口状突起の刺突文内に赤彩を認めるが、65が赤彩されていなかったという判断は困難である。
64の器高21.6 cm、65は19.2 cmである。」史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用

参考 石棒
「紀要8」から引用

3 感想
・異形台付土器は特殊遺構と称せられる大型竪穴住居から石棒等の祭祀にかかわる遺物とともに出土しています。
・出土場所が外周の柱穴列と周壁との間ですから、現代風にいえば催し物ホールの正面舞台の横にある機材ルームのような場所に異形台付土器が置いてあったとでも形容できると思います。112号竪穴住居が集落の祭祀や催しを行う会場であり、そこで異形台付土器2点を使った祭祀や石棒を使った祭祀等が執り行われていたと想像します。
・異形台付土器や石棒が出土した遺構南西部は壁高が70センチ近くあり、その前の空間がこの竪穴住居の「上座(舞台)」だったと想定できます。
・加曽利B3式期の112号竪穴住居では冠婚葬祭や無病息災祈願、生業発展祈願、あるいは広域交流など多彩な行事が執り行われたと思います。その中のイベント(祭祀)で異形台付土器が使われたと想定します。
・どのようなイベント(祭祀)で異形台付土器が使われたのか、引き続き思考してみたいとおもいます。
・石棒は男性(主導)型イベント(祭祀)、異形台付土器は女性(主導)型イベント(祭祀)に関わるかもしれないと、現状ではあまり根拠のない空想をしつつ次の検討に進みます。

0 件のコメント:

コメントを投稿