現在、加曽利貝塚博物館E式土器企画展(終了)の展示土器について学習しています。この記事では2020.02.03記事「加曽利EⅢ式土器学習のポイント」からはじめた加曽利EⅢ式土器観察学習をふりかえり、とりまとめます。
1 観察土器の種類
加曽利貝塚博物館開催企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」(2019.11.16~2020.03.01)展示土器のうち、すでに観察した注口土器を除くEⅢ式深鉢形土器24点について観察記録3Dモデルを作成し、またGigaMesh Software Frameworkによる文様浮彫展開写真を作成して観察しました。
観察土器の主な種類はキャリパー形土器、意匠充填系土器、横位連携弧線文土器です。
観察した加曽利EⅢ式深鉢の種類
なお、器形や模様という土器型式分類とは別に、同じ「深鉢」と呼ばれる土器でも口唇部が肥大化してラッパ形をしていて、片口が付いている土器もあり、用途に応じた分類考察も重要であることを感じました。
2 意匠充填系土器と横位連携弧線文土器の出自
論文「加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)」では意匠充填系土器と横位連携弧線文土器のそれぞれの出自について、いずれも連弧文土器とキャリパー形土器との接触により成立したと考察しています。
意匠充填系土器と連弧文土器
加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)から引用
横位連携弧線文土器と連弧文土器
加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)から引用
連弧文土器は加曽利EⅡ式期に房総でも盛行した土器です。
参考 中期後葉の土器編年案と連弧文土器の位置づけ
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用
また、小林達雄編「総覧縄文土器」では連弧文土器について、「おそらくは曽利式土器が関東地方に波及していく中で、加曽利E式と曽利式に由来する要素が転写、複合されて生成したものと考えられる。」と考察しています。
以上の加納実考察と小林達雄編「総覧縄文土器」考察から、次のような状況を想像します。
1 山梨県付近に中心をもつ曽利式土器が関東地方に影響を及ぼした。
2 そのプロセスの中で多摩地方などを中心に連弧文土器が生まれ、加曽利EⅡ式期に房総にも伝わった。
3 加曽利EⅢ式期にキャリパー形土器が連弧文土器の影響を受けて、意匠充填系土器や横位連携弧線文土器が生まれた。(逆に表現すると、房総に伝わった連弧文土器がキャリパー形土器に吸収され、その過程で意匠充填系土器や横位連携弧線文土器が生まれた。)
加曽利貝塚博物館の加曽利E式土器に関するパンプレットでEⅢ式期だけいわゆるキャリパー形ではない土器(下図で赤点で囲む)ができてきますが、この土器は横位連携弧線文土器ということになると思います。
加曽利E式土器パンフレットに出てくる横位連携弧線文土器(赤点だ囲む)
加曽利貝塚博物館パンフレットから引用加筆
3 感想
曽利式土器そのもの及び連弧文土器が房総の遺跡で満遍なく一定の割合でみられることから、房総の人々は曽利式土器や連弧文土器にも「幸福をあやかった」のだと思います。
「幸福をあやかる」本尊は加曽利E式土器ですが、キリスト教徒でもない現代日本人がクリスマスを愛するように、房総縄文人は曽利式土器や連弧文土器を時々愛用したのだと思います。
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