縄文石器学習と銘打って縄文時代石器の学習を始めます。学習とはいってもとりあえず各地展示施設で観察撮影した写真から3Dモデルを作成し記事に掲載することから始めます。一種の収集趣味欲の自己満足です。
この記事では尖石縄文考古館で観覧した石棒の3Dモデルを掲載します。
なお、縄文土器は縄文土器学習としてすでに407記事を書いていますが、さらに3Dモデル収集を続けたいと思います。
縄文木製品は縄文木製品学習として10記事を書いています、コロナ明けには雷下遺跡出土木製品の閲覧にチャレンジしたいと密かに時を待っています。
縄文骨角器についても興味が進めば製品の3Dモデルを作成してぜひシリーズ記事化してみたいと思います。
1 石棒(茅野市聖石遺跡第4号住居址(SB04))外 観察記録3Dモデル
石棒(茅野市聖石遺跡第4号住居址(SB04))外 観察記録3Dモデル
・住居址全体の写真(上)を見ると、住居入り口とは反対に石棒が立っていることがわかる。石棒の周辺を拡大してみると(右)、石棒の手前には炉跡があり、炉と連続して一体化した祭壇だった可能性が高いと考えられる。石棒を据えるために段をつけた穴を掘り、根本を土で固めていたようだ。
撮影場所:尖石縄文考古館
撮影月日:2020.03.13
展示パネル
展示の状況
2 感想
石棒に関する知識が皆無ですので、集中して基礎知識を入手したいと思います。
奥にある石棒の頭部が段になり変形しています。このような石棒を多々見かけますので、その意義について今後知りたいと考えています。
なお、山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)では石棒について次のように記述しています。このような記述の背景となるよりリアルな情報をぜひとも知りたいと思います。
「縄文時代の遺物には、男性性や女性性を象徴したものが多い。そのような遺物の代表例に、たとえば石棒がある。石棒は、勃起した男性器をかたどった石製品である。大きいものでは2メートルを超えるものから、小さいものは10センチメートルくらいのものまである。このような石棒は、基本的には東日本で発達し、縄文時代前期から見られるようになる。関東・中部・北陸地方を中心とした地域では縄文時代中期に大型化し、後期から晩期には粘板岩というきめの細かい石を使った、文様の多い精巧なものもつくられるようになった。
石棒の多くは最後に火にくべられたのか、熱を受けて赤くなっており、また意図的に打ち壊されたようである。おそらく、石棒を用いた祭祀の中には、性行為時の男性器のあり方、すなわち「勃起→性行為→射精→その後の萎縮」という一連の状態を擬似的に再現する、「摩擦→叩打→被熱→破壊」という動作が組み込まれていたと考えられる。最終的に破壊されるのは、擬似的性行為が終了したことを示すのだろう。ただし、熱が加えられた痕跡(石が焼けて赤くなる)をみると、石棒が割れた後にもこのような状況が見られる場合もあるので、加熱と破壊の順番は、必ずしもいつも同じではなかったようだ。もちろん、すべての石棒にこのような解釈があてはまるわけではない。」(山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用)
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