2020年5月8日金曜日

縄文早期の海岸と台地の回帰的定住

縄文社会消長分析学習 14

1 房総の縄文早期遺跡分布図に回帰的定住活動を投影する
1-1 縄文早期の海岸と台地の回帰的定住
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)で縄文早期に貝塚が発生しそれこそ定住のはじまりであると記述されています。
その部分を引用すると次のようになります。
「定住生活が進展すると、海岸部や汽水域など、貝類を捕食する地域では貝塚が形成されるようになっていた。貝塚とは、機能的には「ゴミ捨て場」だが、観念的な意味ではまた違ったようで、祭祀的な場所でもあったようだ。 貝塚が形成されるということは、生ゴミとしての貝殻が堆積するほどの期間はその場所に定住していたということに他ならない。無論、季節によって移動することもあっただろうが、その場合であっても離れては戻るといった回帰的な動きをしていないと貝層ができるほどには貝殻は堆積しない。したがって、貝塚の存在は定住生活を行っていた証拠となる。」
「このような貝塚は、すでに早期前葉の時期(遅くとも約1万1000年前)には出現しており(たとえば神奈川県夏島貝塚など)、この時期にはすでに本格的な定住生活が営まれていたとみてよいだろう。」
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

縄文早期における定住開始を強調した文章ですが、「離れては戻るといった回帰的な動き」が挿入されているとおり、通年定住ではなく、海岸部を含む複数個所で回帰的定住が行われたという趣旨で理解できます。

1-2 房総の縄文早期遺跡分布図に回帰的定住活動を投影する
このような観点から房総の縄文早期の貝塚を含む遺跡分布図を見ると強い興味に襲われます。

早期前葉・撚糸文期の貝塚分布
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用

貝塚を伴う遺跡が海岸(古鬼怒湾入り江)に存在し、そこから20㎞程離れた場所に貝塚を伴わない遺跡群が密集しています。
縄文早期の貝塚が地形的要因でほとんど残存しないことを考えると、発見された貝塚2カ所が多数貝塚群を指標していると想定できます。
つまり海岸部における漁労的定住と、20㎞程離れた台地中央部をメインとした狩猟的定住という回帰的定住活動がこの「早期前葉・撚糸文期の貝塚分布」に表現されているのではないかと思考することができます。
この思考(想像)をポンチ絵にすると次のようになります。

千葉県縄文早期井草式遺跡ヒートマップ及び考察
井草式期遺跡の密度が濃い場所を濃い色で表現(ヒートマップ表示)しています。その場所が現在の成田空港付近であり、その場所から北に行くと古鬼怒湾の入り江があり、南東に行くと栗山川下流の太平洋入り江があります。
現在の成田空港付近(ヒートマップで濃い色の部分)は二つの漁労定住地に行きやすい交通の要衝であり、かつ下総台地における狩猟のキャンプ地として最適な場所です。
上記回帰的定住という生活様式を遺跡分布図に投影して考えることが可能であることに気が付きました。(想像しました。)

2 縄文草創期における海岸と台地の回帰的活動の可能性

千葉県 縄文草創期遺跡ヒートマップと素朴な疑問
下総台地では縄文草創期遺跡密集地が成田空港付近のあります。
ところが、旧石器時代遺跡密集地は台地地形の特異地点(効率的狩猟可能地点=狩場)に存在します。

千葉県 旧石器時代遺跡ヒートマップ
縄文草創期遺跡密集域が優良狩場ではない台地中央部に存在することは、生活様式が狩場から狩場に移動する遊動生活ではなく、海岸(古鬼怒湾、栗山川河口)と台地を回帰する生活を行っていたからであるとの推察が一つの可能性として浮かびあがります。

千葉県 縄文草創期遺跡ヒートマップ及び考察

1と2の考察は昨年7月に行ったものです。2019.07.18記事「縄文草創期遺跡集中域が成田空港付近にある理由」参照

3 縄文草創期に海岸で漁労活動をした証拠
縄文草創期に海岸で漁労活動が行われ、貝塚が形成されたとしてもそれは地史的要因により発見される可能性はほとんどありません。
しかし、次のような方法で縄文草創期における海岸漁労活動が推定できないか、今後思考を深めることにします。
3-1 直接的証拠
ア 土器に残された漁労活動の痕跡
海岸部で作られた土器が台地部に持ち込まれた場合の痕跡
・胎土に貝殻片が偶然含まれる
・貝殻片で模様が描かれる
・貝殻片の圧痕が偶然残るなどの痕跡
イ 貝殻の出土
海岸部から偶然持ち込まれた貝殻小片が遺跡から出土する(後の時期の貝殻片が紛れ込んだとして雑音扱いされていないか?)
ウ 海獣の骨製品出土
・・・
3-2 間接的証拠
狩猟専業遊動生活における持ち物の割合と狩猟と漁労の双方を行う生活での持ち物の割合が異なるとすれば、その比率等を利用できるかもしれません。
素人考えですが、狩猟専業の民が使う狩猟具のほうが漁労も行う民より、より専門的で洗練されているに違いありません。石鏃一つにしても概形は似ているかもしれませんが、細部の出来(質…性能)が違うかもしれません。
縄文草創期の貝塚は見つからないから、定住はないという考えではなく、貝塚そのものは見つからなくても海岸部で一定の定住生活をしていたという仮説を持てば新しい情報に巡り会えるかもしれません。


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