2020年5月27日水曜日

南箕輪村神子柴遺跡付近の地形

縄文社会消長分析学習 22

南箕輪村神子柴遺跡の石器学習をしてきましたが、その地形を観察してみました。

1 広域地形

神子柴遺跡の列島における位置 web版Google earthによる

神子柴遺跡が列島のほぼ中央部に位置していて、かつ黒曜石山地など石器素材が得やすい場所に存在しています。このような地理的位置と神子柴遺跡がデポ遺跡であることが関係していると想像します。

2 遺跡付近の地形
地理院地図3DモデルをSketchfabに投稿してwebでいじれるようにしました。

後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭 南箕輪村神子柴遺跡付近の地形
地理院地図3Dモデル空中写真
垂直倍率:×3.0
赤丸:神子柴遺跡

天竜川の両岸に河岸段丘がひろがり、その空間が主な猟場であったと想定できます。そのうちより広い西岸(右岸)河岸段丘がもっともよく利用された空間であると考えられますが、その西岸河岸段丘の目立つ場所に神子柴遺跡が存在します。

後期旧石器最終末~縄文草創期最初頭 南箕輪村神子柴遺跡直近地形
地理院地図3Dモデル陰影起伏図+標準地図
垂直倍率:×9.9
赤丸:神子柴遺跡

神子柴遺跡の直近の地形をよく見ると河岸段丘の先端が小山のようになっている地形的目印の場所のふもとに存在しています。
この小山と遺跡の関係は堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)で「安斎正人は、…神子柴遺跡の立地が、伊那谷をみおろす孤立丘上の特別な場所であるとして、…祭祀の場であり、分散していた集団の集合地であり、集団間の交換の場でもあって、…と多義的に解釈するのである。」と紹介されています。

河岸段丘先端の孤立丘と神子柴遺跡

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