2020年6月28日日曜日

コハクルートとヒスイルート

縄文社会消長分析学習 31

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の学習のなかで茅野市棚畑遺跡から銚子産コハク製品と糸魚川産ヒスイ製品が出土していることを知りました。
ブログ「芋づる式読書のメモ」2020.06.27記事「中期の社会構造」参照
コハク製品とヒスイ製品の生産遺跡は限られていますからそれらが棚畑遺跡までやってくる運搬ルートは推定可能であると考えました。さらに、この二つのルートを合わせれば、ヒスイが房総にやってくるルートも浮かび上がることになります。
早速コハクルートとヒスイルートを想定してみました。

1 茅野市棚畑遺跡に至るコハクルートとヒスイルートの想定

茅野市棚畑遺跡に至るコハクルートとヒスイルートの想定
国土地理院3Dモデル(色別標高図+陰影起伏図)
垂直倍率:×9.9
銚子市粟島台遺跡:コハク製品生産遺跡
糸魚川市長者ケ原遺跡:ヒスイ製品生産遺跡
茅野市棚畑遺跡:ヒスイ製品、コハク製品出土遺跡

動画

2 メモ
コハクルートはコハク製品生産遺跡である銚子市粟島台遺跡→加曽利貝塚→堀之内貝塚→東京湾渡海→武蔵野台地の拠点集落→多摩丘陵横断→相模川流域→相模川沿い西進→笹子峠→甲府盆地→釜無川沿い西北進→宮川沿い西北進→茅野市棚畑遺跡(約280㎞)としてイメージできます。
ヒスイルートは糸魚川市長者ケ原遺跡→姫川沿い南進→松本盆地→塩尻峠→諏訪湖→茅野市棚畑遺跡(約130㎞)としてイメージできます。
ヒスイルートとコハクルートを合わせると、ヒスイが房総に運ばれた主要ルート(約410㎞)としてイメージすることができます。
今後、このルート沿いの主要中継集落を調べ、より精細なルートを想定することにします。
なお、コハク製品の移動だけでなく人の移動もあったと考えられます。房総から棚畑遺跡に婿入りが、反対に棚畑遺跡から房総に婿入りがあったかもしれません。房総に満遍なく分布する非在地系土器や長野県から多数出土する加曽利E式土器は間接的文化伝播だけでなく、人の移動(移住)も伴っていたと想像します。
2020.06.21記事「墓制の展開」参照

3 参考

地理院地図画面

地理院地図3Dモデル画面

2 件のコメント:

  1. 今晩は。黒曜石、翡翠、琥珀の交易ルートは本当に興味深いですね。前田耕地遺跡所在のあきる野市網代門口遺跡からは、ほぼ完形の琥珀製垂飾(最大長62mm・最大幅46mm・最大厚33mm・穿孔有り)が1点出土しています「網代門口・東京都網代母子寮改修工事に伴う発掘調査報告書」。八王子市の楢原遺跡でも60mm超の大型琥珀玉が出土しています。

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  2. 匿名さん 有益な情報ありがとうございます。実は銚子産コハク製品の実物を意識した状態で詳しく観覧したことがありません。最大長62㎜のコハク製垂飾などがあるならばいつか実物を見てみたいと思います。銚子からあきる野市までどのようなルートで、どの集落を経由してコハクが運ばれたのか、詳しく検討してみたくなりました。その検討過程で房総と武蔵野台地との交流についての実感が湧くかもしれないという期待が生まれます。

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