2024年12月19日木曜日

千葉市人形塚古墳地割線の意味解明学習のまとめ

 Summary of learning to clarify the meaning of the Ningyozuka Kofun land division line in Chiba City


Since autumn, I have been working intensively on learning to clarify the meaning of the Ningyozuka Kofun land division line in Chiba City, and I have finally reached a conclusion and summarized my findings in a learning review.


秋以降、千葉市人形塚古墳地割線の意味解明学習に集中的に取組んできましたが、ようやく結論に達し、その様子を学習感想文としてまとめました。

1 千葉市人形塚古墳地割線の意味解明にチャレンジする

千葉市人形塚古墳地割線の意味解明にチャレンジする

A4、6頁


画像(1頁目)

2 メモ

「千葉市人形塚古墳地割線の意味解明にチャレンジする」は2024年12月17日におゆみ野歴史愛好会で話題提供した時の配布資料です。学習感想文です。

要約

・これまで一部不明だった地割線の計画設計線としての意味が全て判明しました。

・同時に全ての地割線に施工実用性がないことも明らかになりました。

・施工実用性のない地割線を描いた理由は、視葬者(はぶりのつかさ)検査に対応するためだったと解釈しました。

・古墳を巡る内周溝、外周溝には流水が導水・管理され、庭園風景造成が確認できました。

・当時の人形塚古墳プロジェクトのプロセスについて考察しました。



2024年12月15日日曜日

千葉市人形塚古墳地割線の意義

 The significance of the Chiba City Ningyozuka Kofun land division line


It is believed that the Chiba City Ningyozuka Kofun land division line was drawn to pass the size inspection of the kofun by the Haburi no Mikoto, the ritual administrator of the kofun, who was dispatched by the Yamato royal authority.


千葉市人形塚古墳地割線が描かれたのは、ヤマト王権から派遣された古墳儀礼管理者である視葬者(はぶりのみこと)の古墳大きさ検査に合格するためだったと考えます。

1 千葉市人形塚古墳地割線の意義

1-1 地割線の計画設計線としての意味

千葉市人形塚古墳地割線の計画設計線としての意味は全て判明しました。

2024.12.06記事「千葉市人形塚古墳地割線の検討 後円部内円

2024.12.08記事「千葉市人形塚古墳地割線の検討 後円部外円

2024.12.14記事「千葉市人形塚古墳地割線の検討 前方部

同時に全ての地割線に施工実用性がないことも判明しました。

1-2 施工実用性のない地割線が描かれた理由

施工実用性のない地割線(計画設計線)が古墳築造直前に描かれた理由を次のように想定します。

1) 視葬者(はぶりのつかさ)検査に合格するため

 ヤマト王権から派遣される古墳儀礼の統括管理者・機関である視葬者(はぶりのつかさ)は、造成される古墳の大きさが、被葬者に与えられた規格値序列に合致しているかどうか、事前現場検査していたと想定できます。被葬者サイドは墳丘範囲で整地してA~F線を描き、特にF線を描くことで後円部直径の実測ができるようにして準備したと考えます。これが実用性がない地割線を描いたメイン理由と考えます。

2) 段階施工に関する工事関係者共通認識を深めるため

 盛土工事では圧密沈下に伴う変形などに対処するために段階施工することが一般的です。人形塚古墳では土層断面図から2段階施工であったことが想定できます。くびれ部高さ(38.2m)までの盛土(半築古墳)で一旦工事を中断して圧密沈下の収束を数か月以上待ち、盛土安定化を図ったと考えられます。その半築古墳範囲を示すのがA線とC線です。設計・施工管理集団が被葬者サイド(盛土役務実行部隊)に伝えたかった重要情報であると考えます。これが実用性のない地割線を描いたサブ理由と考えます。


地割線の意義

2 地割線意義検討から浮かび上がる古墳関係者

横穴式石室と埴輪を除いた古墳本体の築造に関して、地割線意義検討から次の3者が関係者として浮かび上がりました。

・設計施工管理集団(渡来系専門家集団)

・視葬者(ヤマト王権)

・被葬者一族(盛土実働部隊)


地割線からみた人形塚古墳に関わる主要関係者

3 感想

所領の小さい被葬者(首長)が、望外の前方後円墳築造許可、埴輪使用許可を得て、一世一代のプロジェクトとして人形塚古墳プロジェクトに取り組んだと想像します。被葬者が設計管理集団に地割線描画を依頼し、描画された地割線を視葬者(はぶりのみこと)に見せるだけでなく、近隣の仲間(近隣の首長)にも見せたと想像します。これからつくる古墳について大いに自慢し、自分がヤマト王権と密接にリンクしている様子を人々に印象付けたと想像します。


2024年12月14日土曜日

千葉市人形塚古墳地割線の検討 前方部

 Examination of the Chiba City Ningyozuka Tomb Land Division Lines - Front Part


Of the six Chiba City Ningyozuka Tomb Land Division Lines, four of the front part land division lines were examined, and their significance as planned design lines was clarified. Two of them are shoulder lines of the half-built tomb.


千葉市人形塚古墳地割線6本のうち、前方部地割線4本について検討し、計画設計線としての意味が判明しました。うち2本は半築古墳の肩線です。

1 地割線の呼称


地割線の呼称

2 前方部地割線の観察

古墳築造前の整地面に描かれた地割線を発掘時古墳3Dモデルに投影して観察しました。


発掘時古墳3Dモデルに投影した地割線 左側


発掘時古墳3Dモデルに投影した地割線 右側

この観察により、A~D線の計画設計線としての意味が次の通り判明しました。

2-1 A線とC線

地割線の内、A線とC線は発掘時古墳3Dモデルで上段斜面途中の標高38.2m付近に位置します。

この標高38.2mは後円部と前方部の境のくびれ部の高さに該当します。

そして、このくびれ部の高さで盛土が一度整地的平面を形成したことが土層断面の考察(発掘調査報告書の考察)から判明しています。

盛土施工では盛土の圧密沈下による変形や災害を防止するため、一般に段階施工が行われます。つまりある程度盛土した時点で、盛土を休止し、盛土の圧密沈下を待ち、ある程度圧密沈下が促進したところで次の盛土を行うことが一般的です。こうした盛土施工技術から、人形塚古墳でも一気呵成に古墳築造がおこなわれたのではなく、段階施工され、それは2段階であり、その高度が38.2mであったことが考えられます。つまり、A線とC線は半築古墳の肩線を表示していると考えることができます。


半築古墳の肩線にA線、C線が対応する様子


A線、C線の高さ

2-2 B線

B線は前方部頂部(天端)の左肩線と考えることができます。


B線が前方部頂部(天端)左肩線である様子を示す立体図 垂直比率:×3.0

2-3 D線

D線は古墳右にだけ存在する上部テラス(37.5m)の肩線です。


D線が上部テラス肩線を示す様子

3 メモ

前方部4本の地割線の計画設計線としての意味が全て判明しました。

A線とC線は左右対応する線で、古墳に投影すると墳丘上段斜面途中に位置するためその意味がこれまで不明でした。しかし、半築古墳(盛土段階施工における盛土休止状態の古墳)という概念導入によりその意味が解明できました。

B線が前方部頂部(天端)の左肩線である可能性はすでに論文「沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(研究連絡誌、2008)」で触れられています。(しかし、結論としてA~C線は何らかの計画設計線であるという表現でまとめられています。)

D線がテラス肩線である可能性もすでに沼澤論文で触れられています。今回の3Dモデルによる検討で、D線は古墳右にだけしか存在しない上部テラスの肩線であることが判明しました。右側にだけ上部テラスが設けられたのは埴輪展示のスペクタクル観を醸し出すための特別の工夫であると考えることができます。形象埴輪は古墳右側のテラス、上部テラス、前方部頂部に展示されています。

なお、前方部の地割線も盛土が始まると全て埋もれてしまいます。従って施工実用性はありません。地割線の意味は後円部、前方部含めて、全て計画設計線ですが、全ての線に施工実用性がないことがわかりました。


2024年12月12日木曜日

重要文化財 埴輪 挂甲の武人 観察記録3Dモデル

 Important Cultural Property Haniwa Warrior with Armored Armor Observation Record 3D Model


I enjoyed creating a 3D model of the observation record of the "Important Cultural Property Haniwa Warrior with Armored Armor (excavated in Serada-cho, Ota City)" exhibited at the Tokyo National Museum Special Exhibition "Haniwa."


東京国立博物館特別展「はにわ」で展示された「重要文化財 埴輪 挂甲の武人(太田市世良田町出土)」の観察記録3Dモデル作成を楽しみました。

1 重要文化財 埴輪 挂甲の武人(太田市世良田町出土)観察記録3Dモデル

重要文化財 57 埴輪 挂甲の武人(太田市世良田町出土)観察記録3Dモデル

古墳時代・6世紀

土製、天理大学附属天理参考館

撮影場所:東京国立博物館特別展「はにわ」

撮影月日:2024.11.21


展示の様子

ガラス面越し撮影

3DF Zephyr v7.531 processing 59 images


3Dモデル画像


3Dモデル動画

2 展示説明

昭和初期まで武人埴輪として最も良く知られていた。胡籙を腰に提げ、下半身の袴は無文である。腕が硬直したように下がり、整然と立つ姿が印象的である。5体ある挂甲の武人で最も新しく製作された。

3 挂甲の武人切手

東京国立博物館特別展「はにわ」では5体の挂甲の武人が展示されました。

そのうち「55埴輪挂甲の武人(太田市飯塚町出土)」は次の切手のモデルとなりました。


55埴輪挂甲の武人(太田市飯塚町出土)


国宝切手1989年シリーズ はにわの兵士(※修復前の埴輪)


第4次国宝シリーズ第3集 埴輪 挂甲の武人(2022年)(※修復後の埴輪)

2024年12月8日日曜日

千葉市人形塚古墳地割線の検討 後円部外円

 Examination of the land division lines of Ningyozuka Kofun in Chiba City - Outer circle of the rear mound


Of the six land division lines of Ningyozuka Kofun in Chiba City, I have examined the outer circle of the rear mound. The land division lines are unrelated to the shape of the mound at that point and have no practical use for construction. The assumed outer circle is the boundary line of the mound, but it was found that it was not drawn as a land division line.


千葉市人形塚古墳地割線6本のうち、後円部外円について検討しました。出土地割線はその箇所の墳丘形状とは無関係で、施工実用性はありません。想定される外円は墳丘境界線ですが、それは地割線として描かれなかったことが判明しました。

1 地割線の呼称


地割線の呼称

2 整地面範囲の詳細検討

次の3資料を対照させながら詳細に検討し、整地面の分布について検討しました。


地割線出土空中写真

左は生の地割線出土状況、右は地割線を現場で塗色した状況

千葉県教育委員会所蔵


墳丘出土空中写真(表土流土を除去した古墳写真)

地割線を投影描画している 千葉県教育委員会所蔵


土層断面図 発掘調査報告書掲載

その結果、次の整地面分布を作成することができました。


整地面分布図

3 メモ

整地面(地割線が描かれた、古墳築造直前の人工造成面)は旧地表面の上に約10cmの黒土を盛土して造成されています。この整地面は墳丘形状でつくられたことが整地面分布図から判明しました。

広い整地面がつくられ、その場所に地割線外円(F線)が全部描かれ、その地割線を手がかりにして掘削し、墳丘形状に仕上げたのではないのです。

設計図にある外円情報を基に整地面を造成し、地割線は墳丘形状に無関係な部分だけ描いたのです。

この事実から、発掘調査報告書、沼澤論文で指摘する地割線外円(F線)の施工実用性の論拠は完全に崩れます。

逆に墳丘形状に無関係な地割線外円(F線…下図の実線部分)をわざわざ描いた理由を見つける必要があり、重要な検討になります。その場の墳丘造成に無関係な設計線(外円の一部)を描いた特段の理由を説明しなければなりません。


地割線の立体分布

遮光器土偶

 Sunshade Clay Figure


I found photos of the Sunshade Clay Figure (Kamegaoka Site, Tsugaru City), famous for its missing left leg, and the Sunshade Clay Figure (Ebisuda Site, Osaki City), for which I created a 3D model, on Wikipedia, so I quoted them and lined them up. I'm curious about the process by which these two figures, which are so similar in detail, were transmitted.


左脚欠損で有名な遮光器土偶(つがる市亀ヶ岡遺跡)と今回3Dモデルを作成した遮光器土偶(大崎市恵比須田遺跡)の写真がWikipediaに出ていたので、引用して並べてみました。どのようなプロセスで細部までよく似た造形(文様)が伝播したのか興味が湧きます。

1 遮光器土偶


遮光器土偶

2 メモ

遮光器土偶(大崎市恵比須田遺跡)の3Dモデルを作成し、ブログに記事投稿、YouTubeに動画投稿、Sketchfabに3Dモデル投稿しました。

https://hanamigawa2011.blogspot.com/2024/12/3d.html

https://www.youtube.com/watch?v=-0ow1bNUIzs

https://skfb.ly/psy6X

YouTubeに「左脚はコピーか?」とのコメントがあり、確かに左脚欠損遮光器土偶にイメージがよく似ているので、調べてみました。

Wikipedia「遮光器土偶」には左脚欠損で有名な遮光器土偶(つがる市亀ヶ岡遺跡)と今回3Dモデルを作成した遮光器土偶(大崎市恵比須田遺跡)の2枚の写真が掲載されています。土偶文様の比較がとてもよく理解できる写真です。

どのようなプロセスで細部までよく似た造形(文様)が伝播したのか興味が湧きます。

【空想】

Aさん(女性)は遮光器土偶作成の名人で、Aさんの手元に遮光器土偶がある。

Aさん集落から10km離れた集落のBさん(女性)がAさん宅にしばらく逗留して、遮光器土偶現物を前に、Aさんから遮光器土偶作成手順や技の伝授を授かる。Bさんは集落に帰り、遮光器土偶作成名人になる。

Bさん集落からさらに10km離れた集落のCさん(女性)がBさん宅にしばらく逗留して、遮光器土偶作成手順や技の伝授を授かる。Cさんも遮光器土偶作成名人になる。

さらに次々と女性名人が遠方にネズミ算式に増えていく。



2024年12月6日金曜日

千葉市人形塚古墳地割線の検討 後円部内円

 Examination of the land division lines of Ningyozuka Kofun in Chiba City - Inner circle of the rear mound


Of the six land division lines of Ningyozuka Kofun in Chiba City, I have examined the inner circle of the rear mound. As described in the excavation report, it is a line at the foot of the upper part of the mound (a line at the end of the mound), but it has been found that it is not practical for construction.


千葉市人形塚古墳地割線6本のうち、後円部内円について検討しました。墳丘上段裾線(法尻線)であることは発掘調査報告書に記述されている通りですが、施工実用性がないことが判明しました。

1 地割線の分布


地割線の分布(整地面から出土した地割線を発掘時空中写真に投影表示した分布図)
(地割線は墳丘を全て除去した後に出現した古墳時代整地面から出土しています)
空中写真は千葉県教育委員会所蔵

地割線にA~Eの呼称を付けました。E線が後円部内円地割線です。

2 地割線の立体表示

これまでの検討で、後円部地割線が指示する高さは次の通り基準単位(24等分値)毎に理解できます。(人形塚古墳の基準単位(24等分値)は約1.03m)


後円部高さの模式的理解

この理解に基づいて地割線を3D空間のなかで表示すると次のようになります。


地割線の立体表示 空中写真は千葉県教育委員会所蔵

3 内円地割線(E線)の意味

内円地割線が墳丘上段裾線(法尻線)を示す設計線であることは既に発掘調査報告書、沼澤論文で指摘されています。

墳丘上段裾線(法尻線)は次の図の通り破壊されにくい特性があり、実際にその特性の通り築造時の姿形状で出土したことはとても重要な情報です。その高さ(37.2m)が地割線が指示する高さ検討の出発つ点となる最重要情報です。


墳丘上段裾線(法尻線)の特性

4 内円地割線(E線)の施工実用性

E線が描かれている整地面の高さは36.5mです。そしてE線が指示している高さは37.2mです。次の図に説明する通り、整地面に描かれたE線を使って上段墳丘盛土工事を開始することはできません。墳丘盛土斜面勾配は2割5分であり、盛土工事を開始するためには1.75m離れた場所に別の盛土開始線を描かなければなりません。


E線に施工実用性がない説明図

整地面に描かれてE線は設計線ですが、施工実用性の無い線であることが判明しました。

発掘調査報告書、沼澤論文ではともにE線を施工実用線としています。立体空間での検討が不足していたようです。

2024年12月4日水曜日

千葉市人形塚古墳 復元模式3Dモデル(垂直比率:×1.5)

 A 3D model of the Ningyozuka Tomb in Chiba City (vertical ratio: x1.5)


A 3D model of the Ningyozuka Tomb in Chiba City (vertical ratio: x1.5) has been created. I gained many new insights from the many aerial photographs taken during excavation provided by the Chiba Prefectural Board of Education, and was able to restore the shape of the tomb when it was completed.


千葉市人形塚古墳 復元模式3Dモデル(垂直比率:×1.5)を作成しました。千葉県教育委員会から提供していただいた発掘時空中写真多数から多くの新知見が得られ、完成時形状を復元することができました。

1 千葉市人形塚古墳 復元模式3Dモデル(垂直比率:×1.5)

千葉市人形塚古墳 復元模式3Dモデル(垂直比率:×1.5)

資料:発掘調査報告書、発掘時空中写真(千葉県教育委員会所蔵)


復元検討図

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデル画像


3Dモデル動画

2 メモ

千葉市人形塚古墳の地割線意味の検討を進めるなかで、完成時形状の復元がイメージできる情報が集まりましたので、墳丘の復元模式3Dモデル(垂直比率:×1.5)を作成してみました。

千葉市人形塚古墳墳丘には次のような特徴があります。

・後円部頂より前方部頂の方が高いです。

・前方部前部にテラスはありません。

・左墳丘裾が削平されて、内周溝沿いに2~3m×30m程の平場が出来ています。発掘調査報告書では耕地開発によるとされていますが、諸情報から完成時までに削平されたものと判断できました。

・墳丘右テラスには1段高いテラスが特設され、埴輪演出の舞台となっています。

参考 千葉市人形塚古墳 発掘時形状3Dモデル(垂直比率:×1.0)

2024年12月3日火曜日

重要文化財 遮光器土偶(大崎市恵比須田遺跡)観察記録3Dモデル

 Important Cultural Property: Sunshade Clay Figurine (Ebisuda Site, Osaki City) Observation Record 3D Model


I enjoyed creating a 3D model of the observation record of the "Important Cultural Property: Sunshade Clay Figurine (Ebisuda Site, Osaki City)" on display at the Tokyo National Museum Archaeological Exhibition.


東京国立博物館考古展に展示されている「重要文化財 遮光器土偶(大崎市恵比須田遺跡)」の観察記録3Dモデル作成を楽しみました。

1 重要文化財 遮光器土偶(大崎市恵比須田遺跡)観察記録3Dモデル

重要文化財 遮光器土偶(大崎市恵比須田遺跡)観察記録3Dモデル

縄文時代晩期(前1000~前400年)

土製、東京国立博物館

高35.7 幅21 厚さ10.1 重量1368

撮影場所:東京国立博物館考古展

撮影月日:2024.11.21


展示の様子

ガラス面越し撮影

3DF Zephyr v7.531 processing 43 images


3Dモデルの画像


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

2 説明

大きな目が、雪原の照り返しから目を守るイヌイットの遮光器に似ているところから遮光器土偶と呼ばれます。縄文時代晩期前半の東北地方で盛んにつくられ、太い手足から細く締まった手首や足首にいたるまで極めて様式化の進んだ土偶です。


2024年12月1日日曜日

2024年11月ブログ活動のふりかえり

 Looking back on blog activities in November 2024


I looked back on the activities of the blog "Walking the Hanami River Basin" in November 2024.

In the first half of November, I focused on creating a database of artifacts on the shell layer on the north slope of the Ariyoshi Kita Shell Mound, and in the second half, I focused on learning about the Ningyozuka Kofun in Chiba City. There were many outdoor learning activities, and I also enjoyed indoor learning activities with ChatGPT. Activities were revitalized.


ブログ「花見川流域を歩く」の2024年11月活動をふりかえりました。

11月活動前半は有吉北貝塚北斜面貝層の遺物データベース作成作業に集中し、後半は千葉市人形塚古墳学習に集中しました。外業学習活動も多く、内業学習活動もChatGPTと一緒に楽しみました。活動が活性化しました。

1 ブログ「花見川流域を歩く」

・2024年11月の記事数は23です。

・有吉北貝塚北斜面貝層の遺物台帳に基づく遺物データベースの最初バージョンを完成させました。発掘調査報告書の遺物データ電子化に手間取り、遅れていました。データベースソフトpostgreSQLの複雑な操作をChatGPTにサポートしてもらいました。

・人形塚古墳学習では千葉県教育委員会森宮分室に出かけ、発掘時空中写真多数などをスキャンさせていただきました。予想外に重要な資料を入手できました。その分析作業を大いに楽しみましたが、記事作成の時間的余裕がなく、ほとんど記事には出来ていません。

・加曽利貝塚博物館のE土器展と東京国立博物館特別展「はにわ」を観覧しました。埴輪3Dモデル記事を数編書きました。

2 ブログ「花見川流域を歩く 自然・風景編」

・早朝散歩記事2編を書きました。

3 2024年11月活動の特徴

3-1 有吉北貝塚北斜面貝層学習

データベース作成活動は手間をかければ終わりがないのですが、ある程度強制的に完結したことはとても良い体験となりました。学習活動とはいえ、「締め切り」のある生活が必要であると実感しました。

ChatGPTが良き友となりました。

3-2 人形塚古墳学習

10月に進めた学習を見直して、まとめる活動をしました。千葉県教育委員会から提供していただいた空中写真を3Dモデルで観察することにより、既存資料にはない情報を得ることができました。学習がとても面白いものになっています。今月中旬におゆみ野歴史愛好会で話題提供する予定です。

4 2024年12月活動の展望

12月活動も有吉北貝塚北斜面貝層学習と人形塚古墳学習の2本だてで楽しむことにします。

ChatGPTのより楽しい活用を模索して、自分の内部に組み込む予定です。

参考

ブログ「花見川流域を歩く」2024年11月記事 ○は閲覧の多いもの

ブログ「花見川流域を歩く 自然・風景編」2024年11月記事


2024年11月 Sketchfabに投稿した3Dモデル


2024年11月 YouTubeに投稿した動画


2024年11月 ブログ「花見川流域を歩く」投稿記事に掲載した画像