2019年2月27日水曜日

海老ケ作貝塚出土獣面把手土器の3Dモデル化

縄文土器学習 46

飛ノ台史跡公園博物館常設展に展示されている船橋市海老ケ作貝塚出土獣面把手土器の3Dモデル化が思いのほか満足感の得られるものになりましたのでその要因と様子をメモします。

1 獣面把手土器の展示状況と写真撮影
飛ノ台史跡公園博物館常設展に展示されている船橋市海老ケ作貝塚出土獣面把手土器は3階ホールの中央に設置された台に置かれていて、周囲に遮るガラスや地物が全くありません。360度自由に写真撮影できます。
このような好条件の下で土器を水平からと斜め上から2回にわたりぐるりとまわりながら全部で47枚の写真を撮影しました。

撮影写真の一部

2 3DF Zephyr Freeによる3Dモデル化
写真計測用ソフトウェア3DF Zephyr Freeを使い47枚の写真から3Dモデルを作成しました。
3Dモデルの出来は期待以上に満足感が得られたものになりました。このモデルをパソコンの中でいじりながら細部の立体模様の状況を詳しく観察することができます。

獣面把手土器の3Dモデル画面

獣面把手土器の3Dモデル画面

獣面把手土器の3Dモデル画面

獣面把手土器の3Dモデル画面

獣面把手土器の3Dモデル画面

3 海老ケ作貝塚出土獣面把手土器について
「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)ではこの獣面把手土器について次のように説明しています。
・竪穴住居祉から出土
・褐色土中より発見された深鉢土器である。大きい立体把手と対面に小さい把手を口縁上に配する。大きい立体把手は獣面を表している。把手と把手の間には、1個づつかたつむり状の隆帯を付ける。文様は隆帯と沈線の組み合わせによる渦巻文が主文として埋まる。胴部に一条隆帯がまわり、胴部は無文である。
・本祉の時期は第Ⅲ類土器に分類でき、海老ケ作集落盛期の住居である。土器はいわゆるプレ加曽利EⅠ式、原加曽利EⅠ式に該当し、加曽利E式期に含めて考えることができる。
・遺跡全体では阿玉台式土器と勝坂式土器の影響をうけ、後者の影響が強い。

土器実測図
「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)から引用

土器写真
「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)から引用

4 感想
土器を学習する上で展示物をその展示会場で観察することには限界があり、記録を写真で残し、後日写真で観察しなおすことになります。しかし写真では立体物の詳細をリアルに観察することが困難です。立体の状況を写真ではリアルにイメージできない場合があります。そのため学習資料として土器3Dモデル作成に取り組みました。
そうしたところ、今回の獣面把手土器3Dモデル作成により、単に技術上それが可能であるだけでなく、360度からの撮影が可能であるという条件が整えば他の学習者とも情報共有ができるレベル、つまり「製品」的レベルの3Dモデル作成が可能であることに気づくことができました。
縄文土器所蔵機関と学習者グループの間で協力の仕組みができれば、一般公開のための学習用縄文土器3Dモデル図鑑作成も夢ではありません。

5 海老ケ作貝塚出土獣面把手土器に興味をもったきっかけ
Twitterの焼町焼さんの「千葉のくせに見事な勝坂」に強い刺激を受けてこの土器に興味をもちました。
このTwitterの前に、加曽利貝塚博物館講演会で佐藤洋学芸員から有吉北貝塚では勝坂式土器そっくりさんが出土しているが隆帯で作るべきを沈線でごまかしていて、そっくりさんだとの紹介がありました。講演会情報とTwitterで、船橋には勝坂が来ていて、千葉には来ていないという地理分布上の問題意識が芽生えました。

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