2019.02.24に加曽利貝塚博物館で小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」がありました。その聴講で自分の学習にとって特に役立った点や気になった点をメモします。
1 全体感想
50人収容会場に70人の聴衆が集まり、大盛況でした。
配布資料は過半が土器図録である30ページ近くに及ぶもので充実したものでした。図録は自分の学習の参考資料になります。
講演は縄文土器そのものの説明から始まり、加曽利E式土器の研究特性の説明を経て、形式変化の詳細な説明と多様な学問上のエピソードを聞くことができました。
演者の話をスライド画像と対応させた資料ができれば、それは加曽利E式土器の立派な概説書になると思いました。
会場風景
2 土器編年と絶対年代
次の土器編年と絶対年代の表が資料に掲載されています。
土器編年と絶対年代
これと同じものを「れきはくデータベース」から作成しようとしていたので、この資料が入手できて、ラッキーです。学習上の時短になりました。
2019.02.10記事「加曽利E式土器の暦年較正年代」参照
3 加曽利E式土器編年分類について
加曽利E式土器編年分類の研究者間における違いについて詳しい説明がありました。
加曽利E式土器編年分類の研究者間の違い
演者が採用している分類と企画展パンフレット分類の対照図も投影されました。
演者採用分類と企画展パンフレット分類の対照図
このような群雄割拠状態、研究者間での死闘状況の原因について、加曽利E式土器の出土遺跡が多いこと、地域によってバリエーションがあることなどが説明されました。
「材料が豊富過ぎて検討が追い付かない」状況だと思いますが、ローマ数字(Ⅰ、Ⅱ、・・・)とギリシャ数字(1、2、・・・)が混在し、なおかつその意味が違うという状況は早く解消してもらいたいと思います。
最後の質問でどなたかが「土器の模様や形状等の要素毎にその継続年代を調べ、その情報を総合して当該土器の特性を把握すれば、土器分類の不毛な意地の張り合いはなくなるのではないか」旨のご意見がありました。きわめて有益な発想であると自分は賛同しました。
土器形式判定という研究者が競う「名人芸」をいったんやめて、土器を多数の諸要素に分解して、その諸要素の系統発達をしらべ、さらに諸要素間の関連を分析すればおのずと万人が認める土器編年分類のまとまりがあらわれると、素人考えします。
おそらく数万以上はある膨大な土器図録の画像処理をすれば土器編年分類とその利用可能性が別世界になると考えます。
4 加曽利E式土器に影響を与えた土器群
加曽利E式土器に影響を与えた土器群の説明があり、自分はそれらを知りたいので学習意欲がわきました。
加曽利E式土器に影響を与えた土器群
5 中峠式は存在しない
中峠式という土器形式はないという学術専門的な話がありました。演者の専門テーマのようです。
6 興味を持った項目
・西は把手や沈線、東は隆線
・口縁部は横施文、胴部は縦施文。これは最後までつづく。
・加曽利E式期には土偶がすくない。後期になると土偶が増える。
・中期末社会崩壊期の六通貝塚では西の土器が出て貝塚は貧弱。漁業ほとんどしてないかも。
・加曽利E3(古)の伊豆山台遺跡土器は同時期の渦巻文のある土器と様相が異なり段が無いがその理由は「よくわからない」。
伊豆山台遺跡土器
丁度このような土器を学習しているところなので、なぜ土器模様が異なるのか、集団の違いなどに言及する話を期待していたのですが、残念ながら「よくわからない」でした。
7 武蔵野台地東部域の人口増減
人口増減(竪穴住居増減)を示すグラフは貴重な情報です。このグラフを知って社会発展と崩壊の様相をより詳しくイメージできます。
武蔵野台地東部域の人口増減
8 肝心の土器形式変遷
土器形式変遷について多数画像を投影して詳しく説明がありました。本来そこで知った新知識をこの記事のメインとして書くべきです。しかし、土器模様に関する基礎知識が不足していて未消化となってしまっています。この項目だけは「思いだして」キーボードを打つことが出来ません。
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