2019年2月17日日曜日

加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」学習メモ

縄文土器学習 31

2019.02.16に千葉県生涯学習センターにて加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相 -千葉市餅ヶ崎遺跡の調査成果から-」がありました。時間に間に合い運よく聴講できました。講演内容は私が知りたいのだけれどもどの本にも書いてない事柄ばかりで、自分の学習上必須栄養を大いに摂取できたという印象を持ちました。あまりに知りたいことそのものの説明がつづき、すこし興奮したので上がってはならない血圧が少し上がっていたかもしれません。
この記事では私が特に学習できたポイントだけを順不同でメモします。

1 加曽利EⅤ式
「称名寺式の時代になっても加曽利EⅣ式土器を使う人々がいてその土器を加曽利EⅤ式ともいう」旨の話がありました。
加曽利EⅤ式という言葉を聞いたことがあったのですが、どこを調べても判らなかったので、初めて趣旨を理解しました。

2 石棒や土偶
「加曽利EⅣ式~称名寺式になると石棒や土偶の出土が増加する。それ以前はほとんどない。」旨の話しがありました。
加曽利EⅣ式~称名寺式の時期の特徴がよくわかります。

3 長期住居と短期住居
「加曽利EⅣ式ごろに長期住居減り短期住居が増える、柄鏡式も出現する。」
「加曽利EⅣ式ごろ大きな貝塚集落にほとんど人が住まなくなり、餅ヶ崎集落だけが頑張る。」旨の話がありました。

長期居住計画と短期居住計画
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用

長期居住をイメージさせる竪穴住居
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用

短期居住をイメージさせる竪穴住居
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用

加曽利EⅣ式~称名寺式ごろ既存大集落が崩壊して分散的短期的居住となったようで、その様相解明が千葉県考古学のメインテーマの一つらしいことがよくわかりました。
「餅ヶ崎遺跡と加曽利貝塚を比較する価値がある。」旨の話は加曽利貝塚に代表される中期集落崩壊を、その崩壊期に「頑張った」餅ヶ崎遺跡と比較して分析すべきであるという意味だと理解しました。

4 称名寺式の分布は九州から東北にいたる
「それまでの地域別土器形式分布から称名寺式は九州から東北まで分布する」旨の話しがあり、「称名寺式土器では沈線の後に縄文を入れるが、それ以前は縄文の後に沈線を入れている」、「土器は女がつくるから、九州・関西の女が関東にまで移動してきて土器作成手順が変化した」との(想像を交えてとの注釈付きの)話がありました。

称名寺式土器の分布
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用

称名寺式より前の縄文と沈線の切りあい
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用

称名寺式以後の縄文と沈線の切りあい
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用

称名寺式の時期に列島縄文社会が一つのるつぼとなり、大変化したことは確実のようです。石棒や土偶の千葉出現もこの一環であると考えます。
以前自分の空想を記事にしたことがあります。
2017.02.24記事「縄文社会崩壊プロセス学習 縄文時代中期後半の激減

加曽利EⅣ式~称名寺式頃の大規模集落崩壊現象は全国規模の視点でないと解明できないようです。

なお、加納先生想像の女が関東に移動して土器作成手順を変えた説をそのまま受け取ると、九州・関西の男はどうなったんだろうかと心配してしまいます。
女が配偶者として関東や東北に出され、その対価を九州や関西の残った人が得たのか。
男も女と一緒に関東や東北に移動し、女は配偶者になり、男は社会劣位に置かれたのか。
男も女も一緒に関東や東北に移動し、在来の人々を駆逐したのか。
男も女も一緒に関東や東北に移動し、在来の人々と融和社会を構築したのか。

5 竪穴住居数グラフの見方
話しのなかで竪穴住居数グラフの詳しい説明があり、グラフの軸が土器形式に対応していることに気が付くことができました。

よくみる竪穴住居数グラフ
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用 追記

6 集落における竪穴住居の「ぐちゃぐちゃ」な分布と散漫な分布
「有吉北貝塚や草刈遺跡などの竪穴住居分布は「ぐちゃぐちゃ」であり、餅ヶ崎遺跡は散漫である。」旨の説明がありました。他の大規模集落が崩壊したとき、頑張っている餅ヶ崎遺跡の姿の特性が散漫な分布であるということであり、興味が湧きます。後期社会になると集落は再び「ぐちゃぐちゃ」と表現できるのだと思います。
社会全体が崩壊したとき、それでも保持しなければならない最低限の地域中枢管理機能が餅ヶ崎遺跡に存在し、その存在のしかたが散漫型であったと想像しておきます。

散漫な餅ヶ崎遺跡竪穴住居分布
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用

7 炉と土器の関係
次の写真の提示があり、炉と土器の関係がよくわかりました。土器の下端が灰に埋まっていて不自然さはありません。

炉と土器の関係
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写から引用

炉における土器の加熱方法の自分の作業仮説(イメージ)がほぼそのままであると感じました。

作業仮説のイメージ No.1土器の炉における加熱方法
2019.02.11記事「加曽利EⅠ式併行期土器の観察と感想」参照

8 土器把手の意義
縄文土器の把手は実用的意義はないとの話があり、自分の想像や不確かな知識ではなく専門家からそのことを直接聞くことが出来たのでとてもよい知識確認になりました。

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