2019年2月25日月曜日

加曽利EⅡ式縦方向沈線文土器の観察と感想

縄文土器学習 44 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 22

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事では加曽利EⅡ式縦方向沈線文土器No.19の観察をメモします。この土器が加曽利EⅡ式土器の最後に展示されています。

1 加曽利EⅡ式縦方向沈線文土器 No.19

加曽利EⅡ式縦方向沈線文土器 No.19
芋ノ谷東遺跡出土

2 観察と感想
2-1 観察
・縄文の上に、縦方向2本対の沈線で模様をつくっています。沈線模様は底部まで到達する波型、直線型と胴部途中終了の直線型の3種あり、その繰り返しで全体を構成しているようです。
・専門家のご意見は判りませんが土器入門者の私には粗雑造形土器のように感じます。沈線の波型、直線形ともいい加減なラインになっています。胴部途中で終了する沈線も模様として曖昧です。

沈線ライン

・縄文もその施文に斉一性がなく手の赴くままにあっちこっちの方向となってます。
・口唇部の幅が場所によって極端に違います。

口唇部の幅
画面左で広く(厚く)、画面下で狭く(薄くなっています)。

2-2 感想
この土器の展示趣旨は加曽利EⅡ式の最終版ではこのような崩れた土器も出るということだと思います。
その意味をよく考えると次のような思考に至りました。

企画展パンフレットの説明
企画展パンフレットで説明されるEⅡ式→EⅢ式の器形変化にこの土器は入るはずがないとういうことです。
No.19土器は時期としてEⅡ式終末頃につくられたということだけが提示されている情報であり、渦巻文を「家紋」とする集団とは別の人々が作ったに違いないと考えます。
造形が粗雑であることから安定した生活を営んでいない流れ者がつくったと想像せざるをえません。
加曽利EⅡ式期をピークに縄文中期社会が崩壊することと、この土器が暗示する流入集団の存在は深く関連していると想像します。

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企画展風景

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