縄文土器学習 106
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展「ここまでわかった!1万年前の取掛西貝塚」(2019.02)に展示された縄文早期前葉終盤土器様式の一つである東山式土器(船橋市取掛西貝塚出土)を観察します。
1 東山式土器の観察
東山式土器 船橋市取掛西貝塚出土 船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展(2019.02)展示
ガラス越し撮影
東山式土器 船橋市取掛西貝塚出土 船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展(2019.02)展示
ガラス越し撮影
東山式土器 船橋市取掛西貝塚出土 船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展(2019.02)展示
ガラス越し撮影
東山式土器 船橋市取掛西貝塚出土 船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展(2019.02)展示
ガラス越し撮影
東山式土器 船橋市取掛西貝塚出土 船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展(2019.02)パンフレットから引用
3つの土器ともに無文で口唇部直下に1条の沈線が巡ります。この特徴が平坂式土器の別型式としての東山式土器の特徴です。(「日本土器事典」による。)
3つの土器のうち最大の尖底土器には胴部に綺麗に整形された小孔があいています。小孔の回りに摩耗が見られないので、小孔を液体が出入りしたのではなく、気体が出入りしたと素人考えします。この土器が蒸し器であると仮説すると小孔の意味を納得できます。あるいは醸造等の発酵に使った土器かもしれません。
参考 「日本土器事典」平坂式土器の項引用。
「関東の縄文時代早期前半の土器型式。横須賀市若松町所在、平坂貝塚を標式とする。同貝塚は岡本勇らによって1949年に調査された斜面貝塚で、無文・擦痕文の土器が主に貝層中から、撚糸文土器が貝層下の混土貝層から、層位的関係を持って出土した。調査の成果は1953年に発表され、撚糸文土器が平坂Ⅰ式、無文・擦痕文の土器が平坂Ⅱ式と呼称されたが、その後前者が夏島式土器として認識されるに至り、平坂Ⅱ式は独立した型式名平坂式として定着した。研究者によっては、これを無文系土器群として扱うが、平坂式土器自体の再検討からは、撚糸文系土器様式の終末期に位置付けるのがふさわしい。なお、平坂貝塚出土資料には口縁部直下に一条の沈線が巡る土器も含まれていたが、これは西関東に主体的に分布する別型式として東山式の名が与えられている。
器形
口縁が内反気味に直立する深鉢と、口縁が大きく外反する深鉢がある。前者は口縁部付近に横方向の削り整形が、後者は口唇上面が平坦・外削ぎ状に整形され、擦痕文が著しい。基本的に鋭角な尖底で、底部を削って平底化した半平底・平底の深鉢も散見される。器形・口唇部形態の変化から、概ね3段階の消長を窺える。
文様
無文。例外をのぞき装飾文は持たない。顕著な削り整形と端正な口唇部形態に斉一性が認められる。土器製作途上、かなり乾燥した時点で整形が行なわれたため、外面に顕著な擦痕文が残される。新しい段階の資料には、斜位・横位の浅い凹線文や、口縁部に小突起が付く土器も出現、沈線文系土器への移行を想定させる。また関東西・南部の諸遺跡では、押型文土器がしばしば伴う。
分布
関東一円から福島・長野の一部にまで、希薄ながら広汎に分布する。とくに三浦半島周辺には、平根山遺跡・内原遺跡など古い段階の資料を出土する遺跡が多く、その後分布を拡大、東京都尾崎遺跡・大島下高洞遺跡の資料も注目される。」
2 東山式土器の較正年代
東山式土器の較正年代
10400年前くらいまでの数百年程度と推定します。
3 東山式土器の分布
私家版千葉県遺跡データベースでは東山式土器はヒットしません。平坂式土器は1レコード(東金市山田水呑遺跡)ヒットします。
4 参考 取掛西貝塚の場所と情報
ちば情報マップ 埋蔵文化財包蔵地より引用
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