2019年7月15日月曜日

安行式土器の分布

縄文土器学習 189

土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事では安行式土器の分布図を作成しました。

1 千葉県 安行式土器出土遺跡分布図

千葉県 安行式土器出土遺跡分布図

千葉県 安行式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡集中域は加曽利B式土器と略同じで千葉市若葉区・緑区付近(以下Bエリアと略称します)です。しかし加曽利B式ではオタマジャクシのような形状をしていて、中心が鹿島川と都川の分水界付近でそのサブ的な部分が都川西流域(加曽利貝塚のある区域)でした。ところが安行式土器ではそれが逆転して都川西流域の方がメインになっています。

2 安行式土器細分毎の分布
安行式土器出土遺跡400のうち248(62%)遺跡が細分情報として記載されています。

千葉県 安行式土器出土遺跡 細分情報の有無
細分情報記載が高率である理由の一つに安行1式、2式は縄文後期に安行3式は晩期に編入されるという区分との関係で形式細分の意識化が発掘関係者の間で進んでいるのだと想像します。
この細分情報をグラフにすると次のようになります。

千葉県安行式土器細分情報別出土遺跡数
安行1式→2式→3式と順次出土遺跡数が少なくなり、社会が徐々に衰退している様子が看取できるようです。衰退は加曽利EⅡ→EⅢ→EⅣの時のような劇的なものではなく漸移的であるように想像できます。
安行3式土器のさらなる細分情報安行3a式、3b式、3c式、3d式については記事を改めて検討します。

3 安行式土器細分情報毎の遺跡分布

安行1式土器出土遺跡分布図

安行1式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集地のうち最高密集地(赤)は松戸市・市川市境界付近(以下Aエリアと略称します)

安行2式土器出土遺跡分布図

安行2式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集地のうち赤の分布はAエリアとその近くの八千代市付近でありBエリアにはありません。

安行3式土器出土遺跡分布図

安行3式土器出土遺跡分布ヒートマップ
安行1式、2式と異なり遺跡密集域の赤はBエリアだけになります。
安行1式・2式の時代と3式の時代で遺跡密集地の最高箇所の場所がAエリアからBエリアに変わるようです。遺跡密集地が西から東へ移動しているように感じられます。

4 メモ
分布上つまり見かけ上だけの情報ですが加曽利E式以降、遺跡密集地の中心がAエリアとBエリアを行ったり来たりしている様子が観察できます。100年を単位とする時間の中での出来事ですが、振り子運動のような印象を持ちます。Aエリアは入り江(今の江戸川)を隔ててすぐ武蔵野台地ですから振り子運動が武蔵野台地の縄文社会と関連していると考えざるをえません。
いままでの学習では資料の制約上「千葉県」だけを対象とし、あたかも縄文社会がそこである程度完結しながら消長していたかのごとく暗に考えてきました。しかし、下総台地の縄文社会がそこで自己完結的に存在していたという無意識的仮説には根拠がないばかりか、大きく間違っている可能性が濃厚となったように感得します。
武蔵野台地方面の縄文社会が本家筋であり、下総台地の縄文社会はその本家筋の影響を敏感に受ける分家筋、支店筋であると考えることができると予感します。
本家筋からみて下総台地は入り江(今の江戸川)の向こうに存在する肥沃な土地であり、格好の分家配置場所だったような気がします。
本家の調子の良し悪しで分家筋の調子も良くなったり、悪くなったりして、その結果遺跡密集地がBエリアに進出したり、Aエリアに戻ったりしたのではないかと空想します。
武蔵野台地の縄文社会と下総台地の縄文社会が密接不可分であったことの学習を深めなければ下総台地縄文社会消長の検討は中途半端になると直観しました。
次の記事で安行3式土器細分情報を検討します。

5 参考 千葉県 縄文土器形式別出土遺跡数

千葉県 縄文土器形式別出土遺跡数

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