2019年7月16日火曜日

荒海式等縄文晩期最後期の遺跡密集地

縄文土器学習 192

2019.07.16記事「姥山式土器、前浦式土器、千網式土器、荒海式土器の分布」で縄文晩期最後期の姥山式土器、前浦式土器、千網式土器、荒海式土器の分布について観察し、その遺跡密集地が多古町や横芝光町など台地と九十九里平野の境付近にあることがわかりました。この記事ではその場所を詳しく確認して、どのような意味を汲み取ることができるか予備的な検討をしてみました。

1 姥山式土器ヒートマップ 遺跡密集域

姥山式土器ヒートマップ 遺跡密集域
遺跡密集域は横芝光町・芝山町・山武市の境界付近です。

姥山式土器ヒートマップ 遺跡密集域
遺跡密集域は栗山川支流高谷川の入り組んだ小さな谷津が集合しているような場所に該当します。

2 前浦式土器ヒートマップ 遺跡密集域

前浦式土器ヒートマップ 遺跡密集域
遺跡密集域は多古的・匝瑳市・横芝光町の境界付近です。

前浦式土器ヒートマップ 遺跡密集域
遺跡密集域の地形は栗山川と支流の借当川の合流付近で小さな谷津が多数存在している場所です。

3 千網式土器ヒートマップ 遺跡密集域

千網式土器ヒートマップ 遺跡密集域
遺跡密集域は横芝光町・芝山町・山武市の境界付近です。

千網式土器ヒートマップ 遺跡密集域
遺跡密集域は姥山式土器とほぼ同じで、栗山川支流高谷川の入り組んだ小さな谷津が集合しているような場所に該当します。

4 荒海式土器ヒートマップ 遺跡密集域

荒海式土器ヒートマップ 遺跡密集域
遺跡密集域は多古的・匝瑳市・横芝光町の境界付近と横芝光町・芝山町・山武市の境界付近の2箇所です。

荒海式土器ヒートマップ 遺跡密集域
遺跡密集域は姥山式土器、前浦式土器、千網式土器を合わせた2箇所で栗山川支流高谷川の小さな谷津集合と栗山川支流借当川付近の小さな谷津集合域です。

5 遺跡密集域の特性
5-1 丸木舟
栗山川が台地から平野にでる直前の細かい谷津集合域が遺跡密集域となっていますが、この地域に特有な縄文遺物出土があります。それが丸木舟です。
丸木舟の出土はこの縄文晩期最後期土器群の遺跡密集域と見事に重なります。

千葉県丸木舟出土分布
(雷下遺跡出土丸木舟はこのマップにプロットされていません。)

荒海式土器ヒートマップと重ねた丸木舟出土分布
この地域から出土した丸木舟の多くは縄文後晩期頃と推定されています。
晩期最後期土器群と丸木舟が共伴出土している様子を発掘調査報告書等で確認しているわけではありませんが、晩期最後期土器群の時代にこの地域が遺跡密集域であり、かつ丸木舟が生業で多用されていたことに間違いはあり得ません。

5-2 弥生前期遺跡の存在
縄文時代につづき、水稲栽培という食糧生産活動を行う弥生時代が到来します。千葉県ではデータベースに弥生前期遺跡が2件記載されています。その2件が晩期最後期土器群遺跡密集域のすぐそばに位置しています。

荒海土器ヒートマップと弥生時代前期遺跡分布

5-3 考察
晩期最後期土器群遺跡密集域の存在、その場所が千葉県下で特異な丸木舟出土密集域であること、その場所近くに千葉県弥生前期遺跡2件全部が存在すること。これらの3つの分布上の情報をヒントにして縄文晩期から弥生前期の間の状況想像は意義のあることであると考えます。今、有用な作業仮説が生れる素地のある情報に巡り会っていると直観します。予察的に次のメモをしておき、後日検討を深めたいと思います。
・姥山式土器、前浦式土器、千網式土器、荒海式土器を使った人々は細かく解析された谷津を生業の場にしていた可能性がある。
・細かく解析された谷津における生業は丸木舟を有効活用していたと考えられる。
・この場所が千葉県でも最初に水田耕作が行われ弥生文化が導入されている可能性が高い。
・姥山式土器、前浦式土器、千網式土器、荒海式土器を使った人々は水田耕作技術が到来した時、それにすぐ順応できるだけの類似した生業活動をすでに行っていた可能性が考えられる。
・場合によっては姥山式土器、前浦式土器、千網式土器、荒海式土器を使った人々が水田耕作技術をもたらした人々であるという可能性もあるのではないか?

・古い時代の水田開墾は小谷津奥の狭い沖積地で行われたと考えますから、その場所に移動するために丸木舟は必須であったと考えます。
2015.03.31記事「古墳時代と奈良時代の水田開発の違い」参照


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