2019年7月27日土曜日

勝坂式土器と中峠式土器の分布

縄文土器学習 215

縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では中期中葉の勝坂式土器と中峠式土器の分布を観察します。
この記事で2019.07.05記事「縄文土器形式別遺跡分布図作成」からはじめた縄文土器形式別千葉県遺跡分布図作成が完結です。

1 千葉県 勝坂式土器出土遺跡分布図

千葉県 勝坂式土器出土遺跡分布図
132遺跡がプロットされています。

千葉県 勝坂式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集域が松戸市川付近に存在します。


2 千葉県 中峠式土器出土遺跡分図

千葉県 中峠式土器出土遺跡分布図
19遺跡がプロットされています。

千葉県 中峠式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集域が松戸市川付近にあります。

3 参考 中期中葉の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から中期中葉貝塚だけを抽出したものです。 

中期中葉貝塚分布
赤丸…貝塚を伴う集落
青丸…貝塚を伴わない主な集落
ピンク四角…低地貝塚

図書説明文
Ⅵ期とともに県内に大規模な集落・貝塚が最も多く形成された時期である。
分布図をみると、矢切低地から海老川低地付近と、都川低地・村田川低地付近の2つの極が存在し(図5)、奥東京湾沿岸や古鬼怒湾中央部から湾口部には、ややまばらだが一定の距離をおきながらまとまっている。
分布図には貝塚を伴わない大規模な広場集落、またはそれを含む遺跡群も示している。
この時期の遺跡群は、広場集落がひとつないし2つあって、その周辺にのみ小規模な集落が点在して遺跡群を形成するのが特徴である。
この状況は、これまで説明されてきた大規模な貝塚集落の周囲の広域に多数の小規模集落や包含層が分布するというものとはかなり違っている。
いわゆる「加曽利E式期」は,Ⅳ期とⅤ期というまったく居住様式の異なる時期にまたがっており、両者を一括した分布図や説明によって誤解を生んできたといえる。
広場集落の大半は貝層を形成しており、ほぼ阿玉台Ⅲ期ないし中峠期から加曽利EⅢ式土器の成立前後まで、という集落の継続期間や、広場と群集貯蔵穴をもつ集落形態、多数の遺構内貝層、イボキサゴや小型ハマグリ中心の貝層、多量の土器片錘、石器組成など共通点が多く、きわめて均一性が高い。
Ⅲ期の広場集落には定住的な特徴と、頻繁な移動を想定させる特徴を併せもっていたが、Ⅳ期の集落は長期にわたる通年定住型の集落とみてよいだろう。

東京湾沿岸の大型貝塚の意味については、これまでに幾つかの説明が与えられてきたが、現在に至るまで長い間中心的な理論となってきたのは、「大型貝塚=干貝加工場説」である。
要約すると、大規模な貝層は、春の大潮などに複数の集落が共同で干貝加工を行ったために形成されたものであり、計画的で恒常的な食料の確保が集落の定着・集中・大型化をもたらしたとするものである(文献2)。
しかし、ほぼ全体の様子が判明している千葉市緑区有吉北貝塚の分析結果から、別の意見も提示されている(文献13)。
さまざまな分析結果から、生業や食事のバランスは魚貝類に偏ってはおらず、堅果類・イモ類等の植物、陸獣などを含めた多種の食材を運び込む点に特徴があると考えられた。
また、貝類の採取は一年中、日常的に行われた可能性が高い。
これは、干貝加工場とみられる東京都北区中里貝塚とはまったく異なっている。
このような点から、大規模な貝層は長期間にわたる貝類の日常的な利用によるとする見解である。
イボキサゴや小型ハマグリは保存加工が容易であることも確かであるが、むしろ一年中毎日のように生の貝が入手できる点に価値があったと考える。
さらに、植物質食材を使った鍋料理が安定化・日常化したことに伴って、うまみや塩味が加えられる調味食材として貝の需要が高まったのではないか、というものである。
今後議論していく段階にあるので、2つの論を併記しておく。


参考 房総貝塚集落

4 メモ
・勝坂式土器、中峠式土器の時期が中期中葉貝塚盛期のはじまりにあたります。加曽利EⅠ式期、EⅡ式期に社会は発展します。
・加曽利EⅢ式期、EⅣ式期、称名寺式期の社会衰退期を経て堀之内式期の発展期を迎えます。
・中期中葉の貝塚盛期には加曽利E式土器の時代に入り、2つの土器形式の併立共存関係が解消します。諸磯式と浮島式に端を発する2文化共存関係がどのような契機で止揚して加曽利E式文化に統一されたのか、そのあたりの学習を今後深めたいと思います。

5 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

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