2019年7月20日土曜日

田戸式土器の分布及び沈線文土器まとめ分布

縄文土器学習 202

縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事では縄文早期沈線文土器の田戸式土器の検討と沈線文土器のまとめ分布図作成を行います。

1 千葉県 田戸式土器出土遺跡分布図

千葉県 田戸式土器出土遺跡分布図

千葉県 田戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ
三戸式土器とほとんど同じパターンを示します。

千葉県 田戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ 拡大

千葉県 田戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ 拡大
大須賀川流域ときれいに遺跡密集域が重なります。大須賀川流域という個別流域空間がこの時期の縄文社会を考える上で特別な意義を有していることがわかります。

田戸式土器出土遺跡263のうち218(83%)遺跡が細分情報として記載されています。

千葉県 田戸式土器出土遺跡 細分情報の有無
この細分情報をグラフにするとつぎのようになり、田戸下層式が殆どを占めます。

千葉県 田戸式土器細分情報別出土遺跡数

2 千葉県 沈線文土器出土遺跡分布図

千葉県 沈線文土器出土遺跡分布図
三戸式、田戸式および「沈線文土器」「無文土器」を合わせた316遺跡の分布図です。

千葉県 沈線文土器出土遺跡分布ヒートマップ
田戸式のヒートマップと酷似し、大須賀川流域に遺跡密集域が集中します。

3 考察
沈線文期の貝塚及び遺跡分布図が「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」に掲載されています。

沈線文期の貝塚と遺跡分布図
貝塚は城ノ台貝塚1箇所だけですが存在しています。
この図及び2019.07.19記事「井草式土器の分布」の考察から沈線文期も次のような縄文社会を想定します。
ア 縄文海進が進んで大須賀川の近くまで海面が広がってきた。
イ 海面近くで縄文人は漁労専門の出村をつくり貝塚が出来た。そのほとんどは後に波蝕台形成により破壊されたり沖積層の下に埋没した。残存したのは城ノ台貝塚だけとなった。
ウ 沈線文期も社会構造は「狩本村+貝塚出村」であったが漁労の比重が高まり、それに引きずられて撚糸文期と比べると狩本村の位置が海側に移動した。(海に出やすい大須賀川流域に狩本村が移動して、貝塚出村との関係がより密接になった。)

参考 仮に-30m等深線の位置に海があった時の貝塚と海の関係
2017.02.10記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代早期前葉 追補
波蝕台(薄墨色)は海進で浸食された台地であり、その部分に存在した貝塚はすべて喪失したと考えられます。

4 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

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