私の散歩論

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2019年7月31日水曜日

【夢】自分専用 縄文土器観察スマホアプリ開発

縄文土器学習 218

縄文土器学習2巡目はできるだけ多くの千葉県内展示施設を足でかせぎ、とにかく多くの縄文土器個体観察から始める予定です。
その際、展示施設の縄文土器個体を前にして、この土器形式はどこで見たことがあるのか確認しておきたいとか、はじめてみる土器形式であるかどうかなどについて知りたくなります。
場合によっては、同じ土器形式なのに、別の場所でみた個体と印象がまるで違い、その場で写真をくらべてみたくなったりします。
このような展示施設内現場における過去観察情報の参照を自分専用スマホアプリ開発で効率的に行いたいと考えて、自分専用縄文土器観察スマホアプリ開発を出来るだけ早く行い、実用したいと思います。

1 縄文土器観察スマホアプリにもとめる機能
・土器形式別過去観覧記録閲覧、主要撮影写真閲覧
・土器形式別過去ブログ記事閲覧
・土器形式別3DモデルSketchfab閲覧
・土器形式別千葉県分布図閲覧
・土器形式別専門情報閲覧
・現場観察メモ作成

2 アプリ構造のイメージ
1 アプリ表紙
2 アプリ目次…土器形式リスト (クリックで土器形式別情報画面表示)
3 土器形式別情報画面
3-1 概要記述
3-2 観覧記録と代表写真 (観覧記録クリックで詳細ページ表示、代表写真クリックで多数写真表示)
3-3 関連ブログ記事リスト (クリックでブログ記事表示)
3-4 3Dモデルリスト (クリックで3DモデルのSketchfab画面表示)
3-5 分布図リスト (クリックで分布図表示)
3-6 専門情報リスト (クリックで専門情報表示)
3-7 メモ記入欄 (テキストでメモ記入)

自分専用縄文土器観察スマホアプリのイメージ

3 アプリ作成に必要な作業
1 アプリ表紙…要作成
2 アプリ目次…要作成
3 土器形式別情報画面…要作成
3-1 概要記述…要作成
3-2 観覧記録と代表写真…要作成(詳細情報は新規サイトで作成する必要がある。)
3-3 関連ブログ記事リスト…要作成(ブログ記事とリンクを張る)
3-4 3Dモデルリスト…要作成(サイト「縄文土器3Dモデル素材集」記事とリンクを張る)
3-5 分布図リスト…要作成(サイト「千葉県縄文土器形式別出土遺跡分布図」記事とリンクを張る)
3-6 専門情報リスト…要作成(土器形式別に専門情報(概要)記事を掲載したサイトを作成し、その記事とリンクを張る)
3-7 メモ記入欄…要作成

4 アプリ作成イメージ
3-6専門情報リストを除くとコンテンツは全て揃っていて、なおかつかなり整理されています。したがって新たに整備しなければならない専門情報リストと加曽利貝塚博物館企画展で多数観察した加曽利E式土器を除いて作業すれば、自分専用アプリを短期間に作成できる可能性があります。【夢】ではなくなる可能性大であると直観できました。
自分専用の縄文土器観察アプリを活用して展示施設観覧をより効率的に行い、2巡目縄文土器学習を加速したいと思います。

なお、展示施設における縄文土器観察は肉眼と一眼カメラ撮影で行い、スマホカメラは使いません。

5 世の中に期待する縄文土器観察スマホアプリ
最近のニュースで、スマホカメラを動物や植物にかざすとその動植物の種名や情報が即座にわかるアプリが開発されたことを知りました。WEBのデータベースと連動しているアプリです。これと同じ仕組みを縄文土器について作成することは技術的には十分可能だと考えられます。縄文土器に関わる若手先端研究者・技術者の方々が社会貢献として「縄文土器鑑定アプリ」を開発していただくよう、それが自分の寿命がなくなる前に使えることを、密かにかつ心から期待します。
展示施設に置かれた縄文土器に「縄文中期」など程度の説明しかない場合が多く、その土器が加曽利E式土器かどうかぐらいがわかるスマホアプリがあると便利です。あるいは可能性のある土器形式がいくつか出てくる程度でも、興味や学習意欲が強まるに違いないと思います。
さらにいえば、動植物などとくらべて土器の方が個体変異が大きく、土器形式を一発で当てるなどということは最初から困難である(あるいは逆に簡単である)ことを教えてくれるだけでも大いに意味のあるアプリになります。

2019年7月29日月曜日

「千葉県縄文土器形式別出土遺跡分布図」サイトの作成

縄文土器学習 217

7月に入って作成して縄文土器形式別出土遺跡分布図をサイト(構造はブログ)にまとめて閲覧しやすくしました。

千葉県縄文土器形式別出土遺跡分布図

178コンテンツを収録してあります。そのうち土器形式別分布図は63葉です。

2019年7月28日日曜日

縄文土器学習1巡目終了

縄文土器学習 216

2019.01.09記事「縄文土器学習の開始」で始めた縄文土器学習1巡目が2019.07.27記事「勝坂式土器と中峠式土器の分布」をもってひとまず終了しました。

1 感謝
ブログ、ツィッター、フェイスブックで記事を閲覧していただいた皆様、いいねをしていただいた皆様、リツィートしていただいた皆様、コメントをしていただいた皆様に心から感謝します。皆様のアクションにより大いに刺激を受け、はげみとなりました。
また加曽利貝塚博物館をはじめ千葉県文化財課森宮分室、船橋市飛ノ台史跡公園博物館、市立市川考古博物館、八千代市立郷土博物における遺物閲覧・展示観覧・講演会拝聴等が学習を進める上できわめて貴重な情報源となりました。関係行政機関の皆様に感謝申し上げます。

2 1巡目学習の成果
土器学習記事215はツリー状に整理して、リンクを張ったリストを用意して、必要な記事をすぐに反芻できるようにしました。

土器学習ツリー整理

土器学習ツリー整理

土器そのものの3Dモデルは特設サイトに掲載しました

縄文土器3Dモデル素材集

土器形式別出土遺跡分布図を作成し、特設サイトに掲載しました。

千葉県縄文土器形式別出土遺跡分布図
(近日公開予定)

3 2巡目土器学習の予定
縄文土器の2巡目学習を2019.08~12に予定します。
2巡目土器学習をどのようにすべきか、次の記事で検討します。
2巡目土器学習を踏まえて2020年から縄文社会消長分析学習を楽しむことにしています。

………………………………………………
参考 土器学習1巡目215記事リスト
縄文時代学習記事

2019年7月27日土曜日

勝坂式土器と中峠式土器の分布

縄文土器学習 215

縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では中期中葉の勝坂式土器と中峠式土器の分布を観察します。
この記事で2019.07.05記事「縄文土器形式別遺跡分布図作成」からはじめた縄文土器形式別千葉県遺跡分布図作成が完結です。

1 千葉県 勝坂式土器出土遺跡分布図

千葉県 勝坂式土器出土遺跡分布図
132遺跡がプロットされています。

千葉県 勝坂式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集域が松戸市川付近に存在します。


2 千葉県 中峠式土器出土遺跡分図

千葉県 中峠式土器出土遺跡分布図
19遺跡がプロットされています。

千葉県 中峠式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集域が松戸市川付近にあります。

3 参考 中期中葉の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から中期中葉貝塚だけを抽出したものです。 

中期中葉貝塚分布
赤丸…貝塚を伴う集落
青丸…貝塚を伴わない主な集落
ピンク四角…低地貝塚

図書説明文
Ⅵ期とともに県内に大規模な集落・貝塚が最も多く形成された時期である。
分布図をみると、矢切低地から海老川低地付近と、都川低地・村田川低地付近の2つの極が存在し(図5)、奥東京湾沿岸や古鬼怒湾中央部から湾口部には、ややまばらだが一定の距離をおきながらまとまっている。
分布図には貝塚を伴わない大規模な広場集落、またはそれを含む遺跡群も示している。
この時期の遺跡群は、広場集落がひとつないし2つあって、その周辺にのみ小規模な集落が点在して遺跡群を形成するのが特徴である。
この状況は、これまで説明されてきた大規模な貝塚集落の周囲の広域に多数の小規模集落や包含層が分布するというものとはかなり違っている。
いわゆる「加曽利E式期」は,Ⅳ期とⅤ期というまったく居住様式の異なる時期にまたがっており、両者を一括した分布図や説明によって誤解を生んできたといえる。
広場集落の大半は貝層を形成しており、ほぼ阿玉台Ⅲ期ないし中峠期から加曽利EⅢ式土器の成立前後まで、という集落の継続期間や、広場と群集貯蔵穴をもつ集落形態、多数の遺構内貝層、イボキサゴや小型ハマグリ中心の貝層、多量の土器片錘、石器組成など共通点が多く、きわめて均一性が高い。
Ⅲ期の広場集落には定住的な特徴と、頻繁な移動を想定させる特徴を併せもっていたが、Ⅳ期の集落は長期にわたる通年定住型の集落とみてよいだろう。

東京湾沿岸の大型貝塚の意味については、これまでに幾つかの説明が与えられてきたが、現在に至るまで長い間中心的な理論となってきたのは、「大型貝塚=干貝加工場説」である。
要約すると、大規模な貝層は、春の大潮などに複数の集落が共同で干貝加工を行ったために形成されたものであり、計画的で恒常的な食料の確保が集落の定着・集中・大型化をもたらしたとするものである(文献2)。
しかし、ほぼ全体の様子が判明している千葉市緑区有吉北貝塚の分析結果から、別の意見も提示されている(文献13)。
さまざまな分析結果から、生業や食事のバランスは魚貝類に偏ってはおらず、堅果類・イモ類等の植物、陸獣などを含めた多種の食材を運び込む点に特徴があると考えられた。
また、貝類の採取は一年中、日常的に行われた可能性が高い。
これは、干貝加工場とみられる東京都北区中里貝塚とはまったく異なっている。
このような点から、大規模な貝層は長期間にわたる貝類の日常的な利用によるとする見解である。
イボキサゴや小型ハマグリは保存加工が容易であることも確かであるが、むしろ一年中毎日のように生の貝が入手できる点に価値があったと考える。
さらに、植物質食材を使った鍋料理が安定化・日常化したことに伴って、うまみや塩味が加えられる調味食材として貝の需要が高まったのではないか、というものである。
今後議論していく段階にあるので、2つの論を併記しておく。


参考 房総貝塚集落

4 メモ
・勝坂式土器、中峠式土器の時期が中期中葉貝塚盛期のはじまりにあたります。加曽利EⅠ式期、EⅡ式期に社会は発展します。
・加曽利EⅢ式期、EⅣ式期、称名寺式期の社会衰退期を経て堀之内式期の発展期を迎えます。
・中期中葉の貝塚盛期には加曽利E式土器の時代に入り、2つの土器形式の併立共存関係が解消します。諸磯式と浮島式に端を発する2文化共存関係がどのような契機で止揚して加曽利E式文化に統一されたのか、そのあたりの学習を今後深めたいと思います。

5 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

五領ヶ台式土器と阿玉台式土器の分布

縄文土器学習 214

縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では中期の五領ヶ台式土器と阿玉台式土器の分布を観察します。

1 千葉県 五領ヶ台式土器出土遺跡分布図

千葉県 五領ヶ台式土器出土遺跡分布図
118遺跡がプロットされています。

千葉県 五領ヶ台式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸市川付近だけでなく、手賀沼北側(我孫子・柏)に遺跡集中域が現れます。

2 千葉県 阿玉台式土器出土遺跡分布図

千葉県 阿玉台式土器出土遺跡分布図
527遺跡がプロットされています。阿玉台式土器は千葉県土器形式ランキングでは加曽利E式、加曽利B式、堀之内式に続く第4位の出土遺跡数を誇ります。

千葉県 阿玉台式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸・市川付近と千葉市付近に遺跡集中域が分布します。

3 参考 五領ヶ台式期・阿玉台式期の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から五領ヶ台式期・阿玉台式期貝塚だけを抽出したものです。 

五領ヶ台式期・阿玉台式期の貝塚分布
●図書の記述
Ⅲe期(五領ヶ台期~阿玉台Ⅱ期)は、奥東京湾沿岸に圧倒的に集落・貝塚の分布が集中していたⅢa~Ⅲd期とは異なり、古鬼怒湾水系に中心が移った。
現在の利根川下流域や霞ヶ浦周辺で、県内では小野川・黒部川水系に大型貝塚群を形成する。
山田町向油田貝塚はこの時期のみ、佐原市三郎作貝塚・小見川町木之内明神貝塚・同町阿玉台貝塚はこの時期からⅣ期まで、白井大宮台貝塚はⅢd期からⅣ期まで継続する。
いずれも大規模な斜面貝層について調査が行われており、貝類採取や魚類の網漁・刺突漁がさかんに行われたことが判明している。
大規模な貝層や想定される生業の内容は、東京湾沿岸におけるⅣ期の貝塚群との共通点が多い。
実際にⅣ期まで継続する例が存在することもあり、大型貝塚の出現と通年定住型集落を特徴とするⅣ期のはじめを阿玉台IaないしIb期とすべきかとも考えたが、東京湾沿岸の大型貝塚が阿玉台Ⅲ期に一斉といってよいくらいに現れることを重くみることにした。
なお,小野川・黒部川水系の貝塚群は広場集落を形成していたのではないかと想像するが、集落域の調査例が皆無に近いため不明である。
石器総数がかなり少なく、特に打製石斧が少ないなど東京湾沿岸との相違点も存在するようである。

4 メモ
・五領ヶ台式土器分布と阿玉台式土器分布が時間の上でどのように重なっていたのか、また二つの土器形式の併行的存在は異集団の存在を表現しているのか、今後詳しく学習する課題とします。五領ヶ台式土器が諸磯式土器の流れで、阿玉台式土器が浮島式土器の流れであるとイメージして当面は学習を進めることにします。
・この時期に貝塚分布の主な空間が東京湾から香取の海に移動する要因をたとえあやふやであっても作業仮説を持ちたいと思います。貝塚のある場所が縄文人にとって好適な場所であったことは確実ですが、好適な場所全部を利用しつくしていないことも確実ですから、その場所を貝塚として設定した縄文人特有の理由が存在したことも確実で、その理由を類推することは可能に違いないと思います。
・【空想】北方からやってきた浮島式-興津式-阿玉台式集団(B)の勢力がもともと在地である諸磯式-十三菩提式-五領ヶ台式集団(A)をはるかに凌駕した。その結果Bの本拠地である香取の海での貝塚が隆盛した。Aの本拠地である東京湾での貝塚は零落した。つまり集団AとBの人口変化があり、その空間投影が貝塚分布の変化として図に描かれている。

5 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

2019年7月26日金曜日

十三菩提式土器と興津式土器の分布

縄文土器学習 213

縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では前期最後の十三菩提式土器と興津式土器の分布を観察します。

1 千葉県 十三菩提式土器出土遺跡分布図

千葉県 十三菩提式土器出土遺跡分布図
23遺跡がプロットされています。

千葉県 十三菩提式土器出土遺跡分布ヒートマップ
市川付近に遺跡密集域が見られます。

2 千葉県 興津式土器出土遺跡分布図

千葉県 興津式土器出土遺跡分布図
108遺跡がプロットされています。数は少なくなりますが分布の様子は浮島式と似ています。

千葉県 興津式土器出土遺跡分布ヒートマップ

3 メモ
諸磯式土器の後継形式が十三菩提式、浮島式の後継形式が興津式であるように小林達雄編「総覧縄文土器」の記述等からイメージしています。
そのような継続関係がはっきりしていると仮定すると諸磯式-縦断菩提式の流れが縮小し、浮島式-興津式の流れが維持されている様子を感じることができます。
なお、十三菩提式土器と興津式土器が共伴出土する遺跡は8あります。その割合は十三菩提式土器出土遺跡で35%、興津式土器出土遺跡で7%です。
諸磯式(出発人数小)と浮島式(出発人数大)の共存関係は550年間を経て、最終段階で浮島式優勢が極めて顕著になったと言えそうです。

4 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数


諸磯式土器と浮島式土器の共伴出土

縄文土器学習 212

2019.07.25記事「諸磯式土器と浮島式土器の分布」で前期後葉の諸磯式土器と浮島式土器の分布を観察しましたが、その二つの土器形式が共伴出土する遺跡が多数ありますので、その状況を分析しました。

1 諸磯式土器と浮島式土器が共伴出土する遺跡分布

千葉県 諸磯式土器分布
諸磯式土器が密集する場所は同時に浮島式土器が共伴出土する場所であると言えます。ただし県南東部夷隅川流域付近では浮島式土器が共伴出土する遺跡はほとんどありません。この場所まで浮島式土器勢力圏が及んでいないからです。

千葉県 浮島式土器分布
県東北部に密集する浮島式土器出土遺跡ではほとんど諸磯式土器との共伴出土が見られません。この付近は前代(黒浜式土器)に遺跡分布はまばらであり、この時期になって浮島式土器勢力圏になったためです。

千葉県 諸磯式土器と浮島式土器の出土遺跡数
統計をとると諸磯式土器出土遺跡は44%が浮島式土器と共伴、浮島式土器出土遺跡は30%が共伴となります。

2 メモ
「千葉県の歴史」(千葉県発行)の土器形式編年資料の前期後半は、諸磯式土器と浮島式土器がそれぞれ形式変化(細分変化)しながら同時に存在している様子を示しています。
同じ人(集団)が二つの土器文化をもち、かつ子孫にその二つを伝え、子孫がその二つを発展させる(細分型式の変化)ことはあり得ないことです。
従って、諸磯式土器文化を持つ人(集団)と浮島式土器文化を持つ人(集団)は別であると考えざるを得ません。
具体的には作業仮説として、諸磯式土器文化を持つのは下総台地の在地集団、浮島式土器文化を持つのは北方からやってきた外来集団であると考えます。

作業仮説 在地集団と外来集団

2つの集団がそれぞれ集落を構えるだけでなく、1つの集落に2つの出自がことなる集団が共同して居住するという極めて興味深い事象が存在しています。
その2つの異集団が下総台地で共存してそれぞれ独自文化(諸磯式と浮島式)を堅持して発展させながら生活した時間は550年以上です。

諸磯式土器は550年間継続
十三菩提式と興津Ⅱ式も諸磯式と浮島式の流れであるとするならば、その期間は650年以上になります。
550年間を現代でみれば、日本では室町時代応仁の乱頃から現在までの時間です。そのような時間にわたって二つの集団がそれぞれ文化的独自性を維持しながら、同じ集落に住むこともしながら、共存した状況を詳しく知りたいと思います。そこに異文化集団が共存できる知恵があるに違いありません。
また外来集団と考えている浮島式土器集団の方が、在地集団である諸磯式土器集団より多人数であったと考えられることも大変重要な問題を含んでいます。
農業生産社会では多人数集団が少人数集団の地域に入った場合、すべて在地集団を征服して同化することになると考えますが、諸磯式と浮島式では550年間にわたって大が小を飲み込むような状況が見られません。
諸磯式土器集団と浮島式土器集団の平和共存関係を具体的に知ることは、縄文学習を通り越して、現代人類社会の平和共存関係を考える上での一つのヒントになる可能性があるかもしれません。

2019年7月25日木曜日

諸磯式土器と浮島式土器の分布

縄文土器学習 211

縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では前期後葉の諸磯式土器と浮島式土器の分布を観察します。諸磯式土器と浮島式土器は同時併行して空間がオーバーラップして分布しますので一緒に考察します。

1 千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布図

千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布図
269遺跡がプロットされています。松戸市川付近、千葉市付近に集中分布する様相と、千葉県南東部夷隅川流域付近に散在する様相が特徴的であるように感じます。

千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸市川付近、千葉市付近に遺跡密集域が現れます。

2 諸磯式土器の細分情報

千葉県 諸磯式土器出土遺跡 細分情報の有無
細分情報のある遺跡は全体の38%です。


千葉県 諸磯式土器細分情報別出土遺跡数
諸磯a式から諸磯b式に増加し諸磯c式で急減するパターンを描きます。

3 千葉県 浮島式土器出土遺跡分布図

千葉県 浮島式土器出土遺跡分布図
浮島式土器は諸磯式土器と時間的に併行して、かつ空間分布的にも重複してしています。
諸磯式土器分布と較べると県北東部にも遺跡密集が見られることと夷隅川流域など県南東部にはほとんど分布しない特性が観察できます。


千葉県 浮島式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡集中域だけでなく香取の海沿岸の県北東部に遺跡集中域が現れるのが大きな特徴です。

4 浮島式土器の細分情報

千葉県 浮島式土器出土遺跡 細分情報の有無

千葉県 浮島式土器細分情報別出土遺跡数

5 参考 前期後葉の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から前期後葉貝塚だけを抽出したものです。 

Ⅲd期(前期後葉)貝塚分布図

●図書の記述
Ⅲd期(前期後葉)は、前時期の主要な貝塚が継続する。
Ⅲd期には奥東京湾沿岸の貝塚数が激減する。

2017.02.15記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代前期初頭~中期前葉

6 メモ
・黒浜式土器の後継土器が諸磯式土器のような感じがします。土器形式的にそういう関係があるかという問題とともに、その二つの土器形式を継続して使った人集団が同じ母集団を成していると直観します。このような直観が正しいかどうか今後の学習で確かめることにします。
・諸磯式土器と浮島式土器の分布が異なり、浮島式土器の分布が県東北部に濃く、県南東部に到達していないような印象を受けます。このような分布印象から諸磯式土器利用集団と浮島式土器利用集団は出自が異なる異系統の2集団であると考えます。浮島式土器利用集団は茨城方面から下総台地に移住してきたような印象をうけます。このような考えが正確なものであるかどうか、今後の学習で確かめることにします。
・過去に行った大膳野南貝塚前期集落学習では同一集落内に諸磯式土器がメインに出土する竪穴住居と浮島式土器がメインに出土する竪穴住居が空間的に分離して存在することから、出自を異にする異集団が共同して1つの集落を構成していたと考えました。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 主体別土器形式分布
2017.04.11記事「大膳野南貝塚 前期後葉集落 浮島諸磯別石器出土状況」など多数

在地の諸磯式土器利用集団と北から南下してきた浮島式土器利用集団(流入集団)が共同して一つの集落を形成して協力関係を持っていた状況が大膳野南貝塚の事例で見て取れると考えました。(浮島式土器が主体の竪穴住居の一つは意図的に諸磯式土器を排除したような形跡が見られることから、二つの異集団が協働しつつお互いに緊張感のある独自性を堅持していたことが考えられます。)
・なぜ浮島式土器利用集団が南下したのか、その理由は茨城県の情報を利用するなどして是非とも知らなければなりません。香取の海奥部の貝塚が消滅して(生業の場が海退で縮小して)食い扶持にあぶれた人々が下総台地を目指したのかもしれません。

次の記事で諸磯土器出土遺跡と浮島式土器出土遺跡の関係を考察します。

7 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

2019年7月24日水曜日

黒浜式土器の分布と貝塚

縄文土器学習 210

縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では前期中葉の黒浜式土器の分布を観察します。

1 千葉県 黒浜式土器出土遺跡分布図

千葉県 黒浜式土器出土遺跡分布図
関山式土器出土遺跡135に対して黒浜式土器出土遺跡は415遺跡に急増します。3倍増です。関山式期が発展成長期なら、黒浜式期は加速成長期であり加速成長がピークに達した時期です。加速成長(人口急増)に応じて社会組織が変容している様子が下記2に引用したように「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」の貝塚の項に書かれています。


千葉県 黒浜式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸から市川にかけて遺跡集中域が存在します。遺跡集中域の位置が関山式期と比べて松戸から市川に降りてきています。縄文海進ピークがこの時期には既に海退に転じ、利用できる好適海環境が南下している状況と対応している可能性があります。

2 参考 黒浜式期の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から黒浜式期貝塚だけを抽出したものです

Ⅲc期(前期中葉 黒浜式期)貝塚分布図

●図書の記述
Ⅲc期(前期中葉 黒浜式期)には、古五田沼低地・座生沼低地(A)、矢切低地(B)、真間川低地(D)、手賀沼低地・柏-我孫子低地(C)の広域に、それぞれ貝塚の集中がみられる。
Ⅲc期(黒浜期)には、幸田貝塚のような大規模集落がなくなり、竪穴住居が数軒から数十軒という集落が数多く存在した。
野田市槙の内貝塚・流山市若葉台遺跡・我孫子市柴崎遺跡・同市西大作遺跡は広場集落である。
野田市飯塚貝塚・市川市庚塚貝塚・船橋市飯山満東遺跡などの規模の大きな集落は、Ⅲd期(諸磯期)に継続する例が多い。
全体として貝層からは骨の出土例が少ないが、庚塚貝塚や富津市大坪貝塚では魚骨や大型獣骨が比較的多かった。
2017.02.15記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代前期初頭~中期前葉

3 メモ
・関山式期が成長期、黒浜式期がそれに輪をかけた加速成長期でそこがピークである様子を観察することができました。
・黒浜式期には関山式期とくらべると海進が海退に転じている様子が遺跡密集域の位置変化から推察できます。
・海進期に生まれる溺れ谷環境は縄文人にとってかけがえのない漁労の場創出のようです。海退により、あるいは上流からの土砂運搬による溺れ谷環境喪失は即漁労の場喪失を意味するようです。

4 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

関山式土器の分布と貝塚

縄文土器学習 209

縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では前期前葉の関山式土器の分布を観察します。

1 千葉県 二ツ木式土器出土遺跡分布図

千葉県 二ツ木式土器出土遺跡分布図
1遺跡がプロットされています。

2 千葉県 関山式土器出土遺跡分布図

千葉県 関山式土器出土遺跡分布図
135遺跡がプロットされています。前期初頭の花積下層式土器が42遺跡からの出土ですから、それと較べると3倍以上に出土遺跡が増えたことになります。関山式土器の時代が社会の発展期であったことは間違いないと考えます。
縄文海進で現出した海環境を効率的に利用する生業技術や社会運営技術が発達したと想像します。

千葉県 関山式土器出土遺跡分布ヒートマップ
最大の遺跡集中域は松戸付近に存在します。村田川源流の九十九里との分水界付近にも遺跡集中域が存在します。

3 参考 関山式期の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から関山式期貝塚だけを抽出したものです。
Ⅲb期(前期前葉 関山式期)貝塚分布図

記述
Ⅲb期(前期前葉 関山式期)もⅢa期(花積下層式期)の傾向が継続する。

4 メモ
・花積下層式期に生まれた海環境をより効率的に利用できる社会が関山式期にできたと、遺跡分布、貝塚分布から想定します。
・関山式期に千葉県南東部の夷隅川流域の貝塚がなくなり、遺跡数もすくなくなります。この付近の海環境の使い勝手が悪くなったと想像します。河岸段丘を深く掘った河川河道に入り込んだ「海」が上流からの土砂で埋めたてられたなどの地象で説明できる要因が考えられそうです。

5 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

花積下層式土器の分布と貝塚

縄文土器学習 208

取掛西貝塚を念頭に置いた縄文早期撚糸文期の土器分布と貝塚の関係、雷下遺跡等を念頭に置いた縄文早期条痕文期の土器分布と貝塚の関係を整理して学習を深める必要性を痛感します。
しかし、土器分布学習を急ぐことにして、この記事から前期土器の分布について学習します。
なお、「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載「貝塚」の再学習を一緒に行い学習効果を高めることにします。

1 千葉県 木島式土器出土遺跡分布図

千葉県 木島式土器出土遺跡分布図
4遺跡がプロットされています。

2 千葉県 花積下層式土器出土遺跡分布図

千葉県 花積下層式土器出土遺跡分布図
42遺跡がプロットされています。

千葉県 花積下層式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集域は村田川源流部の九十九里分水界付近に現れます。

3 参考 花積下層式期の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用

3-1 Ⅲ期(前期初~中期前)の貝塚分布について
県北西部に貝塚が集中し、ほかの地域には少ないことが明らかである。
この集中は図4のように奥東京湾(狭義の奥東京湾と古入間湾)を囲むように存在した遺跡群の一部といえる。

参考図4
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用

3-2 前期初頭(花積下層式期)の貝塚分布について
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から花積下層式期貝塚だけを抽出したものです。

前期初頭(花積下層式期)の貝塚分布図
Ⅲa期(前期初頭)は、松戸市幸田貝塚・大原町新田野貝塚という大きな貝塚があって、ほかには小さな貝塚が存在しない。
幸田貝塚は,Ⅲa~Ⅲb期の大規模な集落である。
中央に広場をもち、住居跡が環状に並ぶ「広場集落」であり、これまでに住居跡は154軒検出されている。
住居跡内貝層は70か所に認められ、規模の大きな面状貝層をもつ。
貝層はハマグリ・ハイガイを主体とし、面状貝層からはイノシシ・シカや、マダイを中心とした大型魚の遺体が多数出土している。
この時期の集落のなかでは、貝層の規模や大型獣・魚骨の出土量が突出している。
図4にみえる南から入った水道(海底谷部分)がぶつかり進路を変える位置にあり、良好な漁場となった可能性が高い。
また、磨石類が比較的多いので、植物食も一定の割合を占めていたと推定される。
このような傾向は、Ⅳ期(中期中葉)の通年定住型集落でのあり方に近い。
しかし、一方で竪穴住居跡に建替えの痕跡が多いこと、廃絶後の竪穴を埋め戻さず、床面に直接貝層を形成する例が多いことなどⅣ期と明らかに異なる点もある。
頻繁な移動と回帰を想定すべきという意見もあって、生産・居住様式の根幹にかかわる部分が未解決といえる。
2017.02.15記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代前期初頭~中期前葉

4 メモ
・ヒートマップで赤と青で抽出された遺跡集中域がどのような性格の遺跡であるのか、今後の学習課題とします。
・県北西部の海環境を利用した貝塚(遺跡)があると同時に、県南東の夷隅川流域付近になぜ多く遺跡があるのか知りたくなります。河川の下刻作用で思いのほか奥まで海水が侵入していたとは思いますが、海岸べりではないところに遺跡があります。今後の学習課題とします。
・「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」(2004年発行)の「貝塚」掲載情報以降に生まれた最新情報を収集しそれに加える学習活動が大切であると直観します。

5 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数